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中国の国家海洋情報センターは4日、2014年12月に開設した尖閣諸島についてのウェブサイト「釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)-中国固有の領土」の日本語版と英語版を公開した。改めて同諸島は自国領と紹介したが、根拠とした「歴史的文献」については学問的に問題が多く「逆に琉球と尖閣諸島の結びつきの深さを示している」と主張する専門家もいる。
サイトが示した領有権の主張とその根拠はこれまで通り。「同諸島は中国が数百年にわたり管轄してきた固有の領土」、「日本は1895年に日清戦争を利用し、同諸島を秘密裏に編入」、「不平等条約である下関条約により台湾の付属諸島として日本に割譲された」との言い分を繰り返した。
同サイトは、尖閣諸島が自国領であることを示す歴史的な「文献史料」として、中国側古文書の「順風相送」や「万里海防図(一部)」を挙げた。
「順風相送」は明代に書かれた航海書だ。中国は明朝初期の1943年に書かれたとして「わが国が600年前から尖閣諸島を管理した証拠」と主張している。
ただし、海上交流史研究家の内田晶子氏は1985年、「順風相送」に「長崎にポルトガル人が在住」との記載があることなどから、同書の成立は宣教師のフランシスコ・ザビエル来日の1570年以降と指摘。中国でも「順風相送」の成立を1593年とする論文が発表されたことがある。
長崎純心大学の石井望准教授は2012年、八重山日報の取材に応じて、「順風相送」に紹介されている福建省から尖閣諸島に至る航路は「琉球人が好んだルート」と指摘。18世紀に琉球人が著した「指南広義」は同ルートを紹介したが、中国側の航路書は、別のルートを紹介していると説明した。
石井准教授は「同じ史料で逆に尖閣航路は琉球文化圏であったことを示す可能性が高まった」と論評した。
もうひとつ史料である「万里海防図(正しくは万里海防図説)」は16世紀半ばに倭寇対策のために作成された。中国の沿岸部や海島が記載されているが、中国でも「粗雑で間違いも多い」ことを理由に「正規の権威ある軍事地図ではなく、一部官僚が自らのために作った略図」とされている。
また、倭寇対策のための軍事地図ならば、敵の侵入経路も記載しておくのが当然で、記載された島が自国領とはかぎらない。サイトが別の史料として紹介した「籌海図編」は、倭寇の根拠地である五島列島も詳解。一方で、当時の倭寇の活動とはあまり関係のなかった台湾には触れていない。…