[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
19日、肺炎のため、89歳で亡くなった上方落語界の重鎮で人間国宝、桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さん。一夜明けた20日、落語家で長男の五代目桂米團治(56)と弟子の桂ざこば(67)らが会見。「大往生だった」といまわの際を語り、戦後の日本を“笑い”で支え続けた巨星の最期を悼んだ。
昨年12月から高齢と体調を考慮し、兵庫県内の病院に入院していた米朝さん。亡くなった19日も昼間にはテレビを見ていたが、その後、容体が悪化。米團治ら親族や月亭可朝、ざこばら一門約15人が見守る中、静かに息を引き取ったという。
米團治は「全然苦しまずにみんなが見守る中、眠るようにあちらへ逝きました」。ざこばも「亡くなるというのは、きれいなもんかなあと思いました」と泣き崩れた。
2002年の東京・歌舞伎座を最後に高座の一線からは退き、最後の舞台は13年1月、大阪市北区のサンケイホールブリーゼでの「米朝一門会」。昨年6月、妻の中川絹子さんの告別式には車いすで参列していた。
1925年、旧満州大連市生まれ。会社員をしながら演芸評論家を目指したが、上方落語存亡の危機に47年、四代目桂米團治に弟子入り。六代目笑福亭松鶴さんらと復興の礎を築いた。
知的で端正ながら、たっぷりと笑いを盛り込んだ芸風が持ち味。人情噺や芝居噺などネタの豊富さは随一で、大ネタ「地獄八景亡者戯」も復活させた。小学生でも読めると評価された入門書「落語と私」や「上方落語ノート」などの著書も。一門では、桂枝雀さんや月亭可朝、桂南光ら個性的な落語家を多く育てた。
1996年、東京の柳家小さん氏に続き、落語界2人目の人間国宝、2009年には落語界では初の文化勲章を受章。
中川家と米朝事務所の合同葬として、通夜は24日午後6時、葬儀・告別式は25日午前11時、大阪府吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。葬儀委員長は田中秀武・米朝事務所会長、喪主は落語家の長男、五代目桂米團治(よねだんじ、本名・明=あきら)氏。2015/3/20 16:56 更新