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今夜金曜ロードSHOW「かぐや姫の物語」。高畑勲監督が答えていた「姫の犯した罪と罰」とは

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今夜金曜ロードSHOW「かぐや姫の物語」。高畑勲監督が答えていた「姫の犯した罪と罰」とは

今夜金曜ロードSHOW「かぐや姫の物語」。高畑勲監督が答えていた「姫の犯した罪と罰」とは

 

3月13日今夜、スタジオジブリの高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」が金曜ロードSHOW!で地上波初放送する。ノーカット放送するために放送枠を拡大し、いつもより約1時間前倒しの夜7時56分からの放送だ。

ストーリーについては、もはや説明するまでもない。「竹取物語です(完)」といった感じだ。もちろん、かぐや姫と幼い頃から知る「捨丸」というキャラクターが登場したり、御門のアゴがめっちゃ長かったりと、「竹取物語」中にはない要素も登場するが、基本的には忠実に作られている。

「かぐや姫の物語」でいつも話題になるのがキャッチコピーの「姫の犯した罪と罰」。上映当時も「結局、姫の犯した罪って何? 罰ってどういうことだったの?」という感想が目立った。「かぐや姫の物語 罪と罰」で検索をかけた人もたくさんいるはずだ。エキレビ!にも、久保内信行による「『かぐや姫の物語』考察。『姫の犯した罪と罰』とは何か」という記事がある。

雑誌『ユリイカ』の2013年12月号の特集「高畑勲 『かぐや姫の物語』の世界」でも、三橋健による「かぐや姫の罪」、三浦佑之による「罪とはなにか」をはじめ、かぐや姫の「罪と罰」に言及した論考は多い(余談だが、そんな中で「『戦闘美少女』としての『かぐや姫』」を書いている斎藤環はいろんな意味ですごい)。

さて、同誌には、高畑監督のインタビューも掲載されている。そこでもやはり「かぐや姫の罪と罰」について触れられていた。ちょっと長めになるが引用しよう。

〈だって原作に書いてあるんですよ。姫は「昔の契りによって来たんだ」と言うし、お迎えの月の人は「罪を犯されたので下ろした」が、「罪の償いの期限が終わったので迎えに来た」とかね。
僕のアイディアというのは、罪を犯してこれから地上に下ろされようとしているかぐや姫が、期待感で喜々としていることなんです。それはなぜなのか。地球が魅力的であるらしいことを密かに知ったからなんですよ、きっと。しかしそれこそが罪なんだと。しかも罰が他ならぬその地球に下ろすことなんです。なぜなら、地球が穢れていることは明らかだから、姫も地上でそれを認めるだろう。そうすればたちまち罪は許される、という構造。それを思いついたんです〉

ただしこれはあくまで前提で、暗示に留めようと考えていたのだそう。ところが、プロデューサーの鈴木敏夫が「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーを思いつき、高畑監督の反対を押し切って通してしまった。そのために、チラシで説明を増やし、本篇も少し直すことになった。
インタビューを担当した中条省平はこう問いかけている。

〈人間的な感情や欲望があり、さまざまな色に満ちている人間界というものがそもそも罪なんだということですよね。しかし、すべて純潔で清浄な月世界にとってはそれは罪だけれど、当の人間にとってはかけがえのないことであって、その罪や穢れも含めて現世を肯定しようという意志を感じました〉

これに高畑監督は「まさしくそういうことです」と答えている。しかし「肯定」というのは微妙な言葉で、「こういうものなんだ」というある種の諦めや絶望も含んでいるように思える。
月の世界の住人が予想していたとおり、かぐや姫は人間界で「幸せになる」ことができず、心の奥底から地上での生を否定してしまう。
小さなころは「地上での喜び」を噛み締めていたはずのかぐや姫は、成長するとともにどんどん窮屈になっていく。彼女を取り巻くのは「女の幸せは結婚」「女は結婚してこそ価値がある」という(平安時代でも、そしておそらく現代でも変わらない)価値観と、かぐや姫を「女」として品定めする男たちの視線、そして娘の幸せを願うあまりに娘を不幸にしてしまう父(竹取の翁)の愛情だ。
彼女は心の底から「月に帰りたい」と思ってしまう。それと同時に、同じくらい「帰りたくない」とも思う。
この世は美しく、豊かだが、つらい。でも好き、でもつらい。希望に満ちあふれているが、同じくらいの絶望に縛られる。
かぐや姫はきっと、月に帰ったあとも、(かつてかぐや姫が地上に憧れたきっかけの「羽衣伝説」の天女のように)地上の歌を涙を流しながら歌うのだろう。また違う月の住人が地上に憧れをいだき、そしてつらい思いをして帰っていく……。月の世界の住人に死はないが、愛とつらさが循環していく。
「かぐや姫の物語」は、本当につらいお話だ。

ちなみに、爆笑問題の太田光が、DVD&BDリリースの時にキャッチコピーをつけている。最終的に決定したのは「あゝ無情」(無情だし、無常でもある)だが、他にもさまざまな案が出された。
「新しいというか、新しくないのかもしれない。」
「見終わって、哀しい。冒頭からすでに哀しい。」
「『ああ、この子はいずれいなくなる』という哀しみ。」
すごくよくわかる。「かぐや姫の物語」って、哀しさがにじみ出ている。ただ、この辺りの案には首をかしげてしまう。
「かぐや姫は、やな女。」
「女の中の女。」
「女ってわからない。」
親の期待に応えないこと、男の愛情を試すこと、自由に生きたいと願うこと、自分の意志を持とうとすること──それが「嫌な女」「女の中の女」「女ってわからない」と称される。
ああ、つらい。感情があるからつらいんだ。天の羽衣をかぶって感情を失ったかぐや姫の姿は哀しいが、ある意味幸せなのかもしれない。

(青柳美帆子)

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