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死者・行方不明者が集中し、大きな被害が出た広島市安佐南区八木3。8月30日、土砂が入り込んだ県営住宅2階の一室で、菅(すが)保美さん(68)は荷物を整理しながら、複雑な表情でつぶやいた。
あの夜、一人暮らしの菅さんは、「ダーン」という轟音(ごうおん)で跳び起きた。間もなく地震のような激しい横揺れが起き、外に飛び出すと、膝の高さまで泥で埋まっていた。
懐中電灯を手に、一軒一軒に声をかけたが、階下の女性(68)から返事がない。他の住民とともに家の中の様子をうかがうと天井まで土砂で埋まっていた。その後、発見されたが、すでに亡くなっていた。「助けられんでごめんね」。女性の部屋の前で手を合わせ、叫んだ。
避難所では、別の被災者と一つのマットを分け合って寝泊まりした。ふさぎ込む被災者を見つけては、手を握り、「福がきますように」と励ました。
8月28日、被災者向け住宅への入居が決まった。市中心部にある高層住宅。県営住宅には30年近く住み、近所の人とも気心が知れる関係になっていた。離ればなれになることや、あわただしい街中での生活に不安もあったが、心配する娘に説得されて決心した。
「生かされたんじゃけえ、一生懸命生きていかんといけん」
ついこの前まで涼しい風を送ってくれた山が懐かしくもあり、恐ろしくもある。いつか戻り、原爆投下後の復興のシンボルになったキョウチクトウの苗木を植え、赤い花を咲かせたいと思っている。
写真と文 大久保忠司、吉野 拓也、永尾 泰史