がんと闘った末、昨年6月に29歳で亡くなった福岡県古賀市の森田有紀(ゆうき)さんの詩が、文芸思潮現代詩賞の「奨励賞」を受賞した。アルバイトの傍ら引きこもりの若者を支援する活動をし、闘病記をつづったブログには1日に1万人を超えるアクセスがあった。10月に受賞の連絡があり、15日、東京都内で授賞式が行われた。代理で出席した母恵子さん(58)は「受賞を知ったらものすごく喜んだでしょう」と涙を浮かべた。【金秀蓮】
森田さんが体調を崩したのは2012年末。眼科でメラノーマ(悪性黒色腫)が見つかり、13年4月の検査入院で末期の肺がんと判明した。既に全身の骨に転移していた。
「生きたくても死んでほしいの?」。告知を受けた直後、気持ちの動揺を表現した言葉だ。しかし取り乱すことはせず、開設したブログに若年性のがん患者の生活や症状、痛み、つらさを冷静にユーモアを交えて記した。ブログを見る人は日を追って増えた。顔も名前も知らない人から「奇跡を信じます」「あなたを忘れないよ」とメッセージを受け、同じ病の人とも励まし合った。ブログで知り合った人が病院を見舞い、森田さんに「たくさん励まされた」と感謝することもあった。
小・中学校時代は学校に行けなくなった時期もあったが、福岡県内の私立高校へ進学し、16歳のころから詩や文章を書くようになった。大学を中退した後、アルバイトをしながら、ニートや引きこもりの人を支援する活動を始めた。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を利用し、インターネットやテレビ電話、時には会って相談に乗った。彼らが集う場を直接訪れ、その情報を発信するなど闘病中も活動を続けた。
森田さんが詩を応募することを決めたのは昨年の4月。「生きる希望になれば」とボランティアとして支えていた福岡市の波多江伸子さん(66)が勧めた。体力は落ち、会話も難しい状況だったが、過去にブログに掲載した作品を選び、練り直して投稿した。「ブログに訪れる仲間以外の人にも読んでほしい」。森田さんの願いだった。
受賞作の「見つかりやすいウォーリー」は、がんによって自らの体が衰えていくさまを客観的に表現している。波多江さんは「森田さんにとって、詩や文章を書くことは命がけの生きがいだったと思う」と言う。恵子さんは「息子が形に残してくれた詩は宝物」と話した。
文芸思潮はアジア文化社(東京都世田谷区)が発行する文芸誌で、今回の現代詩賞には国内外から472人の応募があった。…奨励賞は最優秀賞、優秀賞に次ぐ賞で、13人が受賞した。
◇見つかりやすいウォーリー(抜粋)
出来ないことを探すのは早い
見つかりやすいウォーリー
派手目の衣装の赤白でなくとも
目についてしまう
一挙手一投足に、すべて症状が浮かんでいる
立ち上がることが出来ない。左手で身体を支えようとしてはいけない
左手は、麻痺して使えなかった部位。
その間に左手の筋力は失われ、今では何も支えられない。
鍛えたい
けれど、神経痛とガンの痛みが鍛えることすら叶えさせてくれない
(中略)
痛みに耐える精神力はいくらか付いたように思う。人前では。
「重たいものは持たないようにしてね」とドクター
文庫本、五冊ほどを手に持っていたら、「それもやめるように」
そう言われてしまう
日を追うように負荷が骨から振動して、疲労骨折してしまうそう
今は大丈夫でも明日はダメ
そういうことがわかるようになってきたのは
闘病から一年半経った今頃になってのこと。
ようやく、推定余命を迎えて、あとはどれだけ生きられるかなんだけど
闘病するより前に、お金が続かない
私は働くことが出来る環境があれば働く
でも、それでもとうてい足りない
(中略)
こんな私を誰が生かすと言うのだろう
お金をかけて
そんな人は今のところひとりしかいない
その人が死ねば 私は死ぬしか無くなる
そのときまで私は現在を幸せと置き換えて
今の幸せを
生きられている幸せを噛みしめよう