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2015年3月12日、韓国・ヘラルド経済は「日本人が気になっている『誠意ある謝罪』とは何か?」と題する記事を掲載した。以下はその内容。
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外交においては、言葉よりも「解釈」が大切。「解釈」はその国の領域であり、外交力だ。北東アジアの外交では「誠意ある謝罪」という表現がよく登場する。歴史問題で日本が挑発するたびに、韓国政府は「誠意ある謝罪」を要求するが、外交において「誠意」を示すことは簡単なことではない。それが、日本が「侵略の歴史を反省する」というメッセージを伝えても、国際社会に許してもらえない理由である。ではどうすれば「誠意」を示すことができるのか?その答えはドイツを見ればわかる。
ドイツのメルケル首相はこのほど日本を訪問し、「ドイツは過去と正面から向き合った」と述べ、日本に反省を促した。メルケル首相は2009年、ドイツの首相として、ひざまずいて過去の歴史を謝罪した。その後も、「ナチスの蛮行の責任をドイツは永遠に背負っていく」「私たちが自由と主権を主張できるのは、過去の歴史を認めたからだ」などと、何度も反省の言葉を述べている。また、メルケル首相だけではない。1970年にはヴィリー・ブラント元首相も、ユダヤ人慰霊碑の前でひざまずき謝罪した。政権が変わっても、ドイツは一貫して過去への反省、謝罪を繰り返してきた。
一方、日本は、1993年に「河野談話」を発表し、慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めて謝罪した。また、1995年に発表した「村山談話」にも国策の過ちと侵略戦争の歴史への反省がしっかりと込められている。しかし、その後、経済危機を経験し保守化した日本は「誠意」を失ってしまった。政権が変わったが、今までの謝罪は受け継がれなかった。つまり、日本は過去に謝罪したが、それは「誠意ある謝罪」ではなかったということになる。
安倍晋三首相が今年夏に発表する戦後70年談話に、しっかりと謝罪の表現を入れ、「日本の謝罪は政権や政治的な状況とともに変わるものではない」ということを、世界に示すべきだ。
これについて、韓国のネットユーザーは以下のようなコメントを寄せている。
「日本は言葉と行動が伴っていない。そんな人の謝罪の言葉を誰が信じられる?」
「ドイツの首相は本当にかっこいい。安倍首相は反省して!」
「日本には誠実な人がたくさんいるのに、なんで安倍首相が選ばれたんだ?」
「もう解決済みだと考えている日本人には、何を言っても無駄だ」
「韓国にもメルケル首相のような大統領が現れないかな?」
「韓国政府が情けな過ぎて泣けてくる…」
「何を言っても日本人の言葉は信じない。寛容な心で受け入れたくもない」
「日本はもううんざりしているだろうね。韓国が黙っていれば、日本は歴史を修正しなくて済んだのに!って」
「日韓関係がここまで悪化してしまったのは、日本の賠償金をほかの用途に使った韓国政府のせいでは?」(翻訳・編集/堂本)