[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
◇堺 400年前の地層から破片
堺市は17日、堺区熊野町東の堺環濠都市遺跡で、17世紀にベトナム中南部で作られたとみられる運搬用の壺の破片(17点)が国内で初めて出土した、と発表した。400年前の大坂夏の陣で堺が焼き打ちを受けた焼土層から見つかっており、市は「当時の日本とベトナムとの交流を示す貴重な資料」としている。
市博物館によると、豪商の屋敷跡の深さ約1・2メートルで、1615年4月の地層から出土した。破片の長さは4~18センチで、「施釉四耳壺(せゆうしじこ)」の一部とみられ、復元した高さは34センチ、底部の直径16センチと推定。出土した壺の破片は、同館で21日から始まる企画展で展示される。
当時、日本はベトナム中南部にあったチャンパ(占城)と朱印船貿易をしていた。1606年(慶長11年)には徳川家康が占城国王宛てに親書を送り香木を求めており、交易を具体的に裏付ける物証になるという。
朱印船の多くは長崎から出航しており、携わった堺商人がこの壺を堺に持ち込んだとみられる。昭和女子大の菊池誠一教授(ベトナム考古学)は「堺が焼き打ちにあった1615年4月の年代がはっきりした焼土層から出土したことで、ベトナム中部の陶磁器研究に与える影響は大きく、当時の窯業生産の実態解明が進むのではないか」と話している。