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端正な顔立ちから「阪急顔」と呼ばれ、55年間にわたり阪急京都線を走り続けた2300系が20日午後、最後の営業運転を終えた。優れた車両に贈られる「鉄道友の会」ローレル賞を初めて受賞した先駆的な車両で、その後の阪急電車のモデルとなった名車だった。
【フォト】昭和35年に撮影されたデビュー当時の2300系
阪急梅田駅(大阪市北区)のホームには午前中から名残を惜しむ鉄道ファンらが駆け付け、カメラのファインダーに収めていた。豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」のラストランのような騒ぎはなかったが、熱心なファンらが最後の雄姿を見守った。
午後2時16分に梅田駅を出発した普通電車が最後の営業運転に。2300系の先頭車両には「さよなら2300」「惜別2300」と書かれたヘッドマークが掲出され、側面には平成4年まで使用していた旧社章も特別に取り付けられた。
神戸市西区の塚田昇吾さん(15)は「パンタグラフが大きく、昭和っぽさが好きだった。見た目はきれいでまだ走れるように思うが、残念だ」と話した。
阪急電鉄によると、昭和35年に登場した2300系は伝統のマルーン色を受け継ぐ一方、直線的なデザインに一新され、多くの新機軸が採用された。窓の上げ下げをフリーストップで行える「下降窓」をいち早く取り入れ、戸袋窓と呼ばれるドア横の窓をなくした。下降窓はその後、全国の私鉄や国鉄(JR)の車両に採用され広まったという。
このほか、列車の消費電力を削減できる「電力回生ブレーキ」や速度を一定に保てる「定速運転機能」も登載。画期的な車両として知られた。阪急電鉄の担当者は「沿線の方に長年親しんでもらい、2300系は幸せ者だった」と話した。