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【世界遺産旅行講座】インドの首都デリーにある世界遺産クトゥブ・ミナールとフマーユーン廟
今年は終戦70年ということで、社内の歴史講座以外に全国の青年会議所や商工会などで歴史をテーマとした旅行の話をする機会が増えそうです。
その際、私はインド国民軍を率いて日本と一緒に戦ったチャンドラ・ボースについて触れます。かつて私はミャンマー(旧ビルマ)にホームステイをしていたことがあって、現地でインパール作戦での「チェロ・デリー(進めデリーへ)」の話を詳しく聞いたからです。
インドでは「日本の人々がボースの活躍を覚えてくれるなら、私たちインド人も英国植民地支配に抵抗するため、ボースがインド国民軍を組織したことを支援したのが日本だったことを思い出すべきだ」という世論があります。
残念ながら、日本ではマハトマ・ガンジーのことは語られてもチャンドラ・ボースのことを知らない人が多いようです。しかし、東京都杉並区にある蓮光寺には、チャンドラ・ボースの遺骨が埋葬されており、ネルー首相をはじめ主だったインド人が参詣されると聞いています。
そこで今回はガンジー、ネルーと並んでチャンドラ・ボースの肖像画が掲げられたインド国会議事堂のあるデリーの世界遺産を紹介します。
この地で最も象徴的な世界遺産はやはり「クトゥブ・ミナール」でしょう。これは奴隷王朝の始祖アイバクが「神の影を東西世界に投影する」目的で建造を命じたとされ、イスラム勢力拡大のシンボルでした。ミナールとはミナレットのことで、本来は1日5回の礼拝を呼びかけるための塔です。
また、有名なアグラのタージ・マハルのモデルとされるフマーユーン廟は、チャハルバーグ(四分庭園)の中央に建てられ、塀に囲まれた水と木々の日陰が豊富にある庭園は、イスラム教徒にとって天上の楽園の再現だったのです。
タージ・マハルは皇帝シャージャハンが愛妃のために造った霊廟ですが、こちらはフマーユーン帝の妃ハージ・ベグムが亡き皇帝の思い出のためにヤムナー河の近くに建てさせた廟です。
私は廟そのものよりもこれだけの建造物を建てさせた皇帝や妃の愛の深さに感銘を受けます。今日のインドの繁栄を考えれば、1945年の日本敗戦後も英国統治からの独立闘争を主導したボースの強い意思を継承する人々こそがインドの真の世界遺産だと思います。
そして終戦70年の今だからこそ極東国際軍事裁判におけるインドのパール判事の判決を思い返しつつ、インド・東南アジアへのテーマ旅行を企画したいと考えるのです。
■黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ) 慶應義塾大学経済学部卒。現在、クラブツーリズム(株)テーマ旅行部顧問として旅の文化カレッジ「世界遺産講座」を担当し、旅について熱く語る。