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福島県の東京電力福島第1原発周辺地域では、事故から4年たっても避難指示が続く。政府や県は解除後の住民帰還に向け、雇用の場となる企業の誘致を進め、工場立地が増えつつある。しかし、原発事故の影響への不安などから若い世代の帰還が進まず、人手不足が深刻だ。新しい仕事になじめず、職場を去るミスマッチもみられる。
原発事故直後に全村避難し、今も一部に避難指示区域が残る福島県川内村。解除区域にある旧県立高校を改修した菊池製作所(東京都八王子市)川内工場は、2012年11月に操業を始めた。常磐自動車道の常磐富岡インターチェンジ(富岡町)から車で20分の距離に位置し、資材調達や出荷などで不自由はほとんどないが、最大の悩みは人材確保だ。
操業開始時に同社は「復興の一助に」(幹部)と村民約30人を採用したが、原発事故前は農業やスーパーなどで働いていた人がほとんど。経験者が指導に当たったが、2年余りで10人以上が工場を去った。工場長の佐藤健一さん(51)は「仕事が合わずに辞めていった人が多い」と話す。
工場では精度の高いアルミニウム製品を最新鋭設備で鋳造し、仕上げは手作業で磨き上げる。村内に製造現場の経験者は少なく、「一から教えて、戦力になるには5〜6年はかかる」(佐藤さん)。工場の24時間フル稼働が目標だが、現状は3分の2程度にとどまる。
川内村では避難指示の解除が始まった11年9月以降に菊池製作所や家具メーカーなど4社が進出した。15年度に造成が始まる初の工業団地には、政府の企業立地補助金の効果もあって6社の進出が決定。残り4社のめども立ち、全体で150人以上の雇用を見込む。
ただ、村の復興事業の担当者は「人数を確保できるか分からない。既に少ない村民を奪い合う状況になっている」と表情を曇らせる。就職相談で村の窓口を訪れる人は「1カ月に1〜2人」にすぎない。2月1日現在で全住民の6割に当たる1584人が帰還したが、7割を65歳以上の高齢者が占め、仮設住宅などを完全に引き払った帰還者は約600人にとどまる。
復興を進めるには「工場誘致だけでなく、除染や転職支援、住居確保など総合的な取り組みが必要」(担当者)とみられる。川内村は住民の帰還に加え、村外から新住民を呼び込むため、工業団地近くに移住者向け住宅を建設する方針だ。