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「一升瓶のままかーっと飲んでお見合いに」
塩月弥栄子さんは、裏千家家元の長女として1918年に京都に生まれました。15代家元の玄室(げんしつ)さんは、弟にあたります。いいなずけを病気で亡くした直後、1938年にお見合い結婚をします。
その当時について塩月さんは2013年5月の朝日新聞の記事「人生の贈りもの」で「悲しみを忘れたい気持ちもあって、お会いしました」と告白。「(お酒を)一升瓶のままかーっと飲んでお見合いに向かいました」と振り返っています。
御曹司と結婚、子ども残し家出
相手は大企業の御曹司。2人のお手伝いさん、ばあや、運転手がいる何不自由ない暮らしで、4人の子どもを産みましたが、次第に、夫との間に距離ができます。そして、なんと結婚から10年後、子どもを残して1人、家を出てしまうのです。
家を出た塩月さんは、東京で1人暮らしをします。お茶くみの仕事をしながら、英文タイプを学び、英会話学校にも通いました。やがて、再婚相手の医師、塩月正雄さんに出会います。
「バカの壁」出るまで歴代1位
その後、カルチャーセンターなどで茶道を教えるようになり、テレビにも出演するようになります。そんな時、代表作「冠婚葬祭入門」を出版します。「冠婚葬祭入門」は308万部以上売れる、爆発的なヒットに。インターネットのない時代、「今さら人に聞けない」知識のマニュアル本として重宝されました。いわば「ヤフー知恵袋」の元祖ともいえる存在でした。
ヒットの理由として、高度経済成長が一段落し、都会に出てきた人にゆとりが出て、マナーに関心が向いたという時代背景がありました。文芸評論家の斎藤美奈子さんは、著書「冠婚葬祭のひみつ」のなかで、この本の特徴が、会社員の夫と専業主婦、子供2人といった戦後の「近代家族」の視点で、従来の冠婚葬祭を整備し直した点にあった、と分析しています。
塩月さんは執筆の動機について「地方から都会に出てきたら、冠婚葬祭の作法を教えてもらう親や年寄りが近くにいません。ちょうど高度経済成長が一段落して、『衣食足りて礼節を知る』という時代の求めに当てはまったのでしょう。自分でも驚きました」と語っています。
「ノンフィクション系新書」のジャンルでは、2004年2月に『バカの壁』に抜かれるまで30年以上、歴代1位でした。
「120歳まで生きる」
95歳の時に出版した「塩月弥栄子95歳 思いのままに生きなさい」では120歳まで生きると宣言していた塩月さん。2013年5月の取材では、次のように語っていました。「私が教える裏千家の道場に幼い頃に別れた次女が通ってくれたんですね。父や母と暮らし、日々の生活で私が身につけた作法を娘や孫、お弟子さんが受け継いでくれる、その姿を見守りたいんです」