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大塚家具、クーデター&崩壊の裏側 父娘が容赦ない潰し合い、創業家内も泥沼紛争

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大塚家具、クーデター&崩壊の裏側 父娘が容赦ない潰し合い、創業家内も泥沼紛争

大塚家具、クーデター&崩壊の裏側 父娘が容赦ない潰し合い、創業家内も泥沼紛争

 

 3月に開催予定の株主総会を前に、2月、大塚家具に一通の文書が送られてきた。大株主からの株主提案が記された内容証明郵便で、送りつけたのは前社長で筆頭株主の大塚勝久会長。勝久氏を筆頭に10人の取締役と2人の監査役選任を求める提案だ。ここには勝久氏の長女で社長の久美子氏をはじめとする現取締役たちの名前はない。つまり現執行部に対して三くだり半を叩きつけたというわけだ。

 その後、沈黙を守ってきた勝久氏は2月25日、都内で会見を開き、「社長(久美子氏)を任命したことが失敗だった。親として私は間違えてしまった」と胸中の思いを語った。これに対し久美子氏もまた「父の主張は牽強付会で無理がある」と応戦、戦いは泥沼化する様相を深めている。父娘の骨肉の争いは、いったいどこから始まったのか。

●業界の異端児、誕生と成長

 大塚家具は桐箪笥3大産地の一つ、埼玉県春日部市で勝久氏の父が1928年に始めた総桐箪笥の工房がルーツ。勝久氏は同市で43年4月27日に生まれている。勝久氏は県立春日部高校を卒業後、69年に25歳で家具・インテリア全般を販売する店として大塚家具センター(78年より大塚家具)を設立、社員24名でスタートした。

「つくり手の眼で良質な素材、工場や工房を見極めて、価値ある家具を提供」というコンセプトで、創業当時から問屋などの中間業者を介さずに直接取引できる工場を開拓。大規模な倉庫を持って大量に仕入れをし、スケールメリットを生かした価格戦略を展開。さらに創業当初からお客に商品の「価値」を正しく知ってもらうために、専門知識を持った社員が適切なアドバイスを行うスタイルの販売手法を展開。これが奏功して80年、株式を店頭公開した。

 さらに80年代に欧州・米国家具業界を視察し、本格的な直接輸入を開始。85年、商品別の売り場構成から、顧客のライフスタイルやライフステージに沿った「生活提案型」売り場の展開をスタートした。これは商品別に担当者がいる他社とは異なり、家具、カーテン、照明などインテリアを構成する全要素を一人の担当者が、トータルにコーディネートして販売するスタイル。ちょうど百貨店のお帳場に似ている仕組みといってもいいかもしれない。

 そして93年、「IDC大塚家具 日比谷ショールーム」を皮切りに全店舗で会員制を導入。登録した顧客に限定したシステムにすることで、定価表示を慣行とする業界の常識を破り、「実売価格表示・値引き販売」を実現。実売価格表示は利用者の大きな支持を得た一方、値崩れを嫌う一部の国内メーカーが出荷を停止したこともあったという。

 こうした状況を乗り越えるために、主力商品として欧米からの輸入品を本格的に導入した。会員制導入とともに「IDC」の商標を使用開始、96年に有明本社ショールームオープン以降、大型ショールームを全国へ展開した。

 しかし90年代以降デフレが続き、2000年代初頭からニトリやスウェーデンのIKEAなどの「ファーストファニチャー」が台頭。競争が激化し、大塚家具の経営は悪化。08年12月期には当期純利益で5億3000万円の赤字に転落、危機的状況に追い込まれた。業績悪化の中で09年3月、勝久氏は久美子氏へ社長職をバトンタッチし、代表取締役会長に就任。折しも創業40周年だった。

●過去を否定した久美子新社長

 勝久氏に代わって社長となった久美子氏は、一橋大学経済学部卒業後に富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に入行、融資業務や国際広報を担当し、94年には大塚家具に移り、経営企画室長兼営業部長、取締役経営企画室長兼営業管理部長、同総合企画部長兼営業管理部長、同総合企画部長兼経理部長、同商品本部長兼広報部長などを務め05年に同社を退任し、オフィスを効率的に活用するためのコンサルティングを行うクオリア・コンサルティングの代表取締役に就任した。

 そして07年には流通業界ではトップアナリストとして長い間評価された松岡真宏氏や、企業再生を得意とする弁護士・大西正一郎氏ら産業再生機構の中核メンバーが代表取締役を務め、経営支援やM&Aのアドバイザリー業務を行うフロンティアマネジメントの執行役員に就任。09年から再び大塚家具に戻り、代表取締役社長・営業本部長に就任した。久美子氏は大塚家具の抜本的な改革に取り組むことになる。
 
 しかし社長に就任した09年12月期には売上高を前年同期の668億300万円から579億2500万円と89億円近く落とし、営業利益14億5100万円の赤字、経常利益は13億3700万円の赤字に転落。当期純利益は14億9000万円の赤字と2期続けて赤字。翌年の10年12月期は569億1200万円とさらに10億円余りの売り上げがダウン。営業利益は約1億3200万円の赤字、当期純利益も2億5000万円の赤字となった。久美子氏はそれまでの会員制ビジネスモデルを見直し、販売員が顧客に店内で付きっきりで説明するスタイルからもっと気楽に入れる店づくりを目指した。

 そして11年12月期には11億5000万円の営業黒字、2億300万円の当期純利益の黒字を実現、12年からは北欧テイストの家具・インテリアのショッピングモールサイト「モルゲンマルケット」を開設、インターネットとリアルを連動、営業のテコ入れを行い、会員制の役割は価格のわかりやすさから顧客リレーションやサービスの強化へとシフトした。

 その後、12年12月期は営業利益11億8300万円、当期純利益6億4000万円、13年12月期は営業利益8億4300万円、当期純利益8億5600万円と黒字を続け、14年12月期第2四半期の決算では増収増益を実現した。

「その実態は、営業利益を眺めならが、赤字になりそうなら年末商戦前だろうが新年商戦前だろうが、宣伝広告をやめてしまう。だから減収でもなんとか収益を上げることができているが、売り上げがなかなか伸びない」(大塚家具幹部)

●父娘の対立が顕在化

 そんな経営手法を勝久氏は許さなかった。14年7月23日に久美子氏は社長を解任され、平の取締役となった。勝久氏は社長を兼務し、経営権を奪取した。

 大塚家具の7月23日付ニュースリリースにはその理由について、「経営環境の変化を鑑み、機動的な経営判断を行うことを目的として、新たな経営体制へ変更するものであります」と記されているが、「14年上期の受注が大幅に減った。そこで勝久氏が陣頭に立ち、15年以降の業績を回復させた」(勝久氏の側近筋)。

 実はこの内紛劇の前段階として、一族の資産管理会社で大塚家具の10%の株式を握るききょう企画で紛争があった。ききょう企画は72年8月に勝久氏が創業した桔梗が母体であり、現在は5人の子供が18%づつ、妻・千代子氏が10%の株を持つ。

「勝久氏がききょう企画に大塚家具の130万株の株式を譲渡しました。ききょう企画はこれを買い取るために金融機関から15億円を借り入れて譲渡代金を支払ったわけですが、今度はききょう企画が銀行の借り入れを返済できるように、勝久氏が13年4月4日を期限として15億円の社債を引き受けたのです。しかし期限が来てもききょう企画からは返済がない。そこで同年10月28日に返済を求めたというわけです」(勝久氏側の弁護士)
 
 この時、久美子氏はききょう企画がもともと所有する59万株と130万株の計189万株の名義を自分名義に書き換えた。これが差し押さえを回避するための偽装だと、勝久氏側は主張しているわけだ。しかし久美子氏に近い関係者はこう反論する。

「これは事業承継のために130万株をききょう企画に移したのです。事実上の生前贈与です。だから子供たちは高い贈与税も払っており、15億円の返済についてもロールオーバー(再契約)の暗黙の了解があるというわけです」

 こうした返還訴訟が展開されている中で、勝久氏を支持するききょう企画の取締役で勝久氏の長男・勝之氏、監査役の妻・千代子氏が昨年1月に解任されている。ききょう企画に残ったのは久美子氏の兄弟姉妹で、取締役には5人兄弟姉妹のうちの雅之氏、舞子氏が就任、監査役には佐野(旧姓大塚)智子氏が就任した。大塚家具の10%の株を握るききょう企画を押さえる一方で、父だけでなく勝之氏と千代子氏を排除したかたちだ。この久美子名義の株が火種となり、勝久氏と久美子氏の対立はさらに激化する。

●クーデター決行

 14年7月に会長兼社長となった勝久氏は積極的に広告宣伝を展開して売り上げ拡大を狙うが、14年12月期決算では減収減益。4億200万円の営業赤字となる。社長復帰のチャンスを虎視眈々と狙っていたといわれる久美子氏は、勝久氏が招いた三井住友銀行出身者でホウライ会長の社外取締役、中尾秀光氏が退任したのをにらみ、今年1月28日、クーデターを決行する。

「実は14年12月16日、ききょう企画から中尾氏だけに対し、勝久氏のパワーハラスメントや暴言行為、売り上げに結びつかないような広告宣伝費投入を黙認したという理由で、7億5100万円の支払いを求める訴えが提訴されたのです」(勝久氏の側近)

 中尾氏はこれがきっかけで退任したといわれている。当時の取締役は勝久氏、勝之氏、久美子氏、娘婿の佐野春生氏、渡辺健一氏、久美子氏の出身大学である一橋大学の教授で社外取締役の阿久津聡氏、同じく社外取締役で弁護士の長沢美智子氏、中尾氏の8人。中尾氏が抜ければ、7人のうち阿久津氏と長沢氏は久美子氏が社長になってから招聘した人物だ。そして7月の久美子氏解任では勝久氏についた佐野氏が久美子氏の側につき、形勢は逆転。4対3で勝久氏は社長を解任され、久美子氏が社長に返り咲いた。
 
 そしてすかさず久美子氏は2月13日、新経営体制を決議し、実質、勝久氏の解任を提案した。これに対抗するかのように提出されたのが、前述した勝久氏側の株主提案だ。久美子氏は2月26日の会見で記者からコーポレートガバナンスについて質問を受けると「(次の世代への)転換をいかにスムーズに進めるか、遅くなると、転換するのは難しく今がぎりぎりのタイミングだ」と答えている。ここには「クーデター」への決意が込められている。

 今後は、委任状争奪戦(プロキシファイト)が展開され、株主総会で戦うことになる。勝久氏は18%の株式を所有し、久美子氏はききょう企画の保有する株式10%を握り、さらに10%の株を保有する米国投資ファンド、ブランデス・インベストメント・パートナーズが支援するとみられている。今のところは互角の戦いで、その他の株主がどちらにつくのか。

 勝久氏よりも久美子氏の経営手腕を高く評価する声もあるが、久美子氏も赤字を止血し、なんとか黒字化しただけにすぎない。中期経営戦略でも従来の会員制を批判する一方、IKEAやニトリと差別化できるような成長戦略を描き切れているわけではない。果たしてどちらに軍配が上がるのか。天王山は3月27日の株主総会となる。
(文=松崎隆司/経済ジャーナリスト)

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