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現代ではダダ漏れといった感すらある性に関する情報。インターネットで検索すれば、世界中の人たちがどんな夜の営みを行っているか、一瞬のうちに知る事ができる。
しかし、十五世紀後半から十六世紀後半においては、当然そうは簡単にいかなかった。とりわけ、キリスト教がを広めるため、はるばる海を渡ってやって来た宣教師たちは、この時代の日本人の性観念に非常に驚いたという。
戦国時代の性観念については、宣教師ルイス・フロイス(一五三二~一五九七)の著作『ヨーロッパ文化と日本文化』(原題『日欧文化比較』)そして『日本史』や書簡・報告書の類が興味深い事実をいくつか指摘している。
『ヨーロッパ文化と日本文化』は、フロイスが永禄六年(一五六三)に来日して以来、慶長二年(一五九七)に亡くなるまでの間、当時の日本社会をつぶさに観察し、ヨーロッパとの比較・対照を行い記録したものだ。ちょうど織田信長が活躍した時代であり、当時の生活文化を知るうえで貴重な史料である。
異国の地からやってきたフロイスにとって、日本人の性観念は驚きの連続であった。フロイスは布教の参考とするため、日本の文化を深く知る必要に迫られ、結果的に子細を書き留めたのであろう。では順に、戦国時代の性観念について、フロイスの見た事実を確認してみよう。
■処女や純潔を軽々と捨てる日本の女性たち
まず宣教師フロイスは、「日本の女性が処女の純潔を少しも重んじることなく、処女でなくても名誉を失わなければ結婚もできる」と述べている。当時の日本人が、処女性にまったくこだわっていなかったことを示す事実である。
その前段でフロイスは、「ヨーロッパでは未婚女性の最高の栄誉と貴さは、貞操でありまたその純潔が犯されない貞潔である」と記している。つまり、ヨーロッパでは女性の処女性が重要視されたので、フロイスは日本人の性の奔放さに大変驚いたという話である。
では、キリスト教文化圏における、処女の観念はいかなるものだったのであろうか。キリスト教が誕生したとき、聖パウロは世の中の性行動が不道徳であったため、独身・童貞・処女が望ましいと考えていた。女性だけではなく、男性も含めてということである。
この禁欲説を体系化したのが、古代のキリスト教学者・アウグスティヌスである。アウグスティヌスは、アダムとイブの子孫である人間は罪を負っているとし、性的な快楽は悪であると定義づけた。
したがって、性的な行為は、あくまで快感を伴わない、生殖のみを目的としたものでならないとした。…