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巨人にフリーエージェント(FA)で加入した野手が、これまで誰も逃れられなかった残酷な宿命に、村田修一内野手(34)も飲み込まれてしまうのか。
12日のソフトバンクとのオープン戦(ヤフオク)後に2軍行きを命じられた村田は13日、帰京を前に福岡空港で「(調整期間は)無期限と言われた。体のキレを戻す。もう1回、自分を見つめ直す。早く(1軍に)呼ばれるように調整したい」と自分に言い聞かせるように話した。まだ開幕前とはいえ、故障以外の2軍落ちはプロ1年目の2003年以来の屈辱だ。同僚やスタッフと言葉を交わすこともなく、村田は搭乗までイスに座ってしばし目を閉じた。
横浜(現横浜DeNA)から2011年オフに巨人にFA移籍。2年目の13年は8月にセ・リーグ記録の月間46安打を放って優勝に大きく貢献した。同オフには3年総額10億円(推定)で契約更改し、外様では球団初の選手会長に就任するなど順風満帆に見えたが、昨季は低調な成績(打率・256)でシーズンを終えた。
村田の獲得を熱望して実現させた原監督の失望は大きい。昨秋キャンプから「スイングが遅くて弱い」と徹底マーク。年が明けて春季キャンプ、そして3月の実戦に入っても上向かず、オープン戦打率・156と低迷した村田に、開幕2週間前になって堪忍袋の緒が切れた格好だ。「あれは村田じゃない。技術的なものだけ追い求めるのがいいのか。走り込んだりする必要があるのかもしれない。期限は設けない。本来の打撃を取り戻すまでだ」と突き放す。
村田は「開幕に合わせて(1軍に)上がっていけたら」と照準を定め、今季から復帰の内田2軍打撃コーチに「いろいろ相談したい」と指導を仰ぐ考え。名伯楽の手で侍ジャパンの4番を張った豪打はよみがえるのか。
村田以前にFAで巨人にやってきた強打者は5人。1994年の落合博満、95年広沢克己、97年清原和博、2000年江藤智、06年小笠原道大。いずれも巨人で現役を全うすることなく、新たな補強に押し出される形で他球団に活路を求めた(別表)。これが常勝軍団の厳しい現実だ。来オフに3年契約が切れる村田も、野球人生の岐路に立たされている。 (笹森倫)