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春の風物詩ともいえる花粉症。一昔前は、マスク着用の人たちは冬季にしか見られなかった。それが、今では春になっても街にあふれている。日本では花粉症の主原因は、スギの花粉だとされている。そこでスギ花粉が多く飛散する春には、外出をためらう人も少なくない。
あまりにも深刻化する花粉症に、行政も対策に乗り出している。なかでも、トップ自らが号令をかけて花粉症撲滅に着手したのが東京都だ。きっかけは2005年、当時都知事だった石原慎太郎氏の鶴の一声だった。石原氏は公務で多摩地域を訪問したとき、花粉症を初めて発症し、花粉症撲滅を宣言した。
「行政が花粉症対策をしているというと不思議に思うかもしれませんが、例えば、大気汚染や水質汚染といった環境問題で行政は動きます。実際に花粉症で都民から困っているという声が届いているわけですから、それらを解消するために行政が動き出すのは当然だと考えています」(東京都産業労働局森林課)
花粉症が社会問題化した根源は、1950年代後半~70年代の高度経済成長期に求められる。当時、経済は右肩上がりを続けていた。年々、東京の人口は膨れ上がり、それに伴って住宅建設は急増。住宅用建材も需要を増やした。高度経済成長期に増えたのは、住宅用建材だけではない。パルプ・木材チップの需要も増えている。55年には、国内木材需要量は年間4528万平方メートルだったが、わずか15年後の70年に1億平方メートルを突破している。
木材需要量の増大に、政府や地方自治体は植林を奨励した。行政の後押しもあり、スギの木が各地で植林されていった。
しかし、いくらスギの木をたくさん植えても、その木が用材として使える大きさにまで成長するのは30~50年の歳月が必要になる。それでは木材需要は満たせないため64年、木材供給量を増やす目的で政府は木材の輸入を全面自由化に踏み切った。この措置で外材供給量が増加すると、今度は国内林業の採算性が悪化。結果、国内の林業は儲からない産業となり、衰退した。衰退する産業に、当然ながらなり手は現れない。後継者不足が深刻化し、人手不足を理由に植林されたスギは放置された。成長したスギの木が花粉をまき散らし、現在それが国民に猛威を振るっている。今般、日本国内に蔓延しているスギ花粉を主原因とする花粉症は、高度経済成長の負の遺産なのだ。
●植え替えが進まないさまざまな要因
東京都が花粉症撲滅に乗り出したのは、スギが盛んに植林された時期から約50年が経過した頃だ。…