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13人が死亡し、約6300人が負傷したオウム真理教による地下鉄サリン事件の発生から20日で20年を迎えた。駅員2人が犠牲となった東京都千代田区の東京メトロ霞ケ関駅には慰霊の献花台が設けられ、遺族や関係者らが花を手向けた。この20年、事件と向き合ってきた遺族の高橋シズヱさん(68)は「惨事が繰り返されないよう、語り継いでいかなければ」と誓った。
【別カット】献花に訪れた高橋シズヱさん
事件で駅助役だった夫の一正さん(当時50歳)を亡くしたシズヱさんは午前8時半ごろ駅に献花に訪れた。一正さんは、千代田線の車両内にまかれた液体をサリンと知らずにふき取り、命を落とした。「私にとっては主人を殺されたという以上の感情は広がらない」と語った後、「まさにここで命がなくなったわけですから……」と言葉を詰まらせ、「会いに来たという感じですね」と涙を見せた。
事件後、シズヱさんは「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人として、被害者の権利確立に尽力してきた。2008年にはオウム真理教犯罪被害者救済法が制定され、被害者約6000人に30億円超が支給された。「20年前は被害者、遺族に権利はなかった。今後も大きな事件があった時には被害者への厚い手当てが必要」と振り返った。
シズヱさんに付き添ったオウム真理教犯罪被害者支援機構の中村裕二弁護士は「万一テロが起きた時、迅速な救済ができるのか。20年を無駄にしないよう、事件の教訓を生かさないといけない」と語った。
駅では太田光昭・同駅務管区長(53)が駅員を代表して献花し、「犠牲になった職員は、乗客の命を守るために必死になってやってくれた。その命を無駄にしない気持ちで献花した。亡くなった方々に深い哀悼の意を表し、療養中の被害者の一日も早い回復をお祈りします」と述べた。【島田信幸、山崎征克】
【ことば】地下鉄サリン事件
オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が、信者を使い東京都心で起こした無差別テロ事件。1995年3月20日午前8時ごろ、信者5人が霞ケ関駅に向かう地下鉄3路線の5電車内に猛毒の神経剤サリンを散布。乗客、駅員ら13人が死亡し、約6300人余が負傷した。事件では10人の死刑と4人の無期懲役刑が確定している。