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ソース(デイリーNK、ジャーナリスト・李策氏) http://dailynk.jp/archives/36761
■派閥政治とパチンコマネー
岸信介が日韓国交正常化を踏み台に、地元・山口県と韓国にまたがる形で築いた「王国」と人脈は、彼の秘書官を経て政界に打って出た
娘婿・安倍晋太郎(晋三の父)にも受け継がれた。その上、晋太郎は在日コリアン(以下、在日)とのパイプをさらに太くしていく。
写真=関釜フェリーの就航式典に参加した安倍晋太郎/「関釜フェリー就航記念アルバム」より
http://dailynk.jp/wp/wp-content/uploads/2015/03/shintarou01-640×416.jpg
かつて晋太郎が住み、いまは晋三名義となっている敷地面積2千平方メートルの豪邸は、下関市街を見下ろす高台に建っている。
この家のかつての持ち主の名は、吉本章治という。福岡市に本社を置くパチンコ店チェーン・七洋物産の創業者で、日本に帰化した
在日1世である。
晋太郎は長らく、自宅と地元事務所を七洋物産の子会社から格安で賃借していたほか、福岡事務所をタダで借り、スタッフの提供まで
受けていた。自宅は後に晋太郎が購入しているが、地元事務所は現在まで借り続けている。
■“トラブル処理”に強い人脈
吉本は下関で商売を始め、地盤を九州に広げつつ成功を手にした。
数年前に80才で他界した吉本は生前にも、晋太郎については「生きる姿勢が在日と良く似ている」「本当に気のいい男だ」などと語る
だけで、深い部分については容易に語ろうとしなかったという。
下関出身の在日の会社経営者によれば、吉本は地元の“トラブル処理”において、きわめて強い人脈を持っていたという。
「吉本さんは若い頃、訳あって妻子の元を離れていた時期があったんです。その間、彼の妻子の面倒を在日の鯨肉業者が良く見て
いました。
その後、この業者の次女が、ある画家に嫁いだ。映画館の看板を描いていたその画家は、なかなか腕前がよく甲斐性もあったの
ですが、父親が死ぬとその遺言を受けて、下関のトラブル処理に関わる“稼業”を継がねばならなくなった。そうなって以降、商売に成功
して鯨肉業者に恩義を感じていた吉本さんが、その“稼業”をバックアップしていたのです」
■「トップ当選」を果たすために
また、吉本のそうした人脈は、安倍家ともつながっていったという。
「吉本さんは、北九州地域の“トラブル処理”に強い影響力を持っていたK氏という人物とも親密でした。安倍家の人間の中には、
吉本さんの奥さんやK氏の夫人と海外旅行などに出かけていた女性もいます」
興味深いのは、晋太郎が在日の支援を受けなければならなかった理由だ。
意外かもしれないが、もともと晋太郎の選挙地盤はぜい弱だった。中選挙区時代に晋太郎が立候補したのは旧山口1区だが、岸の地盤
を継いだわけではなく(岸は旧山口2区)、落下傘候補に近い。実際に2回目の選挙では落選の憂き目にあっている。地元政界の事情通が
話す。
「旧山口1区の定数は4議席で、3つを自民党候補が分け合い、残りを社会党が取る構図が定着していました。次期総理をねらうには
単に当選するだけではダメで、トップ当選が至上命題だった。
しかも、晋太郎さんには林義郎元蔵相という強力なライバルがいました。林家は下関の三大名家のひとつで、サンデン交通や
山口合同ガスといった地元大手企業のオーナー筋に当たる。それに勝つために、晋太郎さんは中小企業を幅広く糾合する必要があった。
在日の企業は資金力があり、多くの従業員を抱えていた。帰化していれば献金しても問題ないし、従業員はほとんどが日本人ですから、
票集めの上でも無視できなかったはずです」
(>>2以降に続く)