[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。

13年前、生まれて初めて受けたオーディションで最終審査に残った。
審査会場の東京・お台場へは、九州から両親も応援に駆け付けてくれた。私を歌が好きな少女に育ててくれた張本人のカラオケ好きな父は、私が歌手になりたいとの夢を口にしたとき、この娘は何を考えているんだろうと呆れていたそうだ。しかし、本当にオーディションに勝ち残り、真剣な私を見て、この娘は本気だったのかと気付いたらしい。父が病に倒れるひと月前、当時私が担当していたラジオ番組に出演してくれ、その本音を聞くことができた。
私のライブを観るために、新幹線で、飛行機で、九州から東京まで毎月のように応援に駆け付けてくれた父。4、5組のアーティストが、それぞれ約30分程の持ち時間のステージを順番に披露する対バンと呼ばれる箱ライブ。小さなライブハウスにお客さんが10~20人位しかいない頃から、父は何かと理由をつけては上京してきた。
「お父さん、観に来てくれるのは有り難いけど、毎月毎月お金勿体ないよ。もうちょっとお客さんが多くなって、大きな会場で歌えるようになってから来てよ」
娘からの心配の言葉が効いたのだろうか?父は飛行機や新幹線に乗っては来なくなった。その代わり、片道15時間以上かけて夜行バスで来るようになった。これだったら文句はないだろうと言わんばかりに。私は父の熱意に負け、父からの愛情を素直に受け容れることにした。
世界中の誰よりも私の音楽活動を応援してくれた人。残念ながら、父に見せてあげられた光景はライブハウス止まりで、アーティストとして活躍する姿は見せてあげられなかった。その年の暮れには憧れのクラシックホールに出演し、翌年には初めてのワンマンライブを地元大分、東京、鎌倉で開催できたというのに。どうして一番見せたかった人に見てもらえないんだろうと悲しくてステージの上で泣いてしまったこともある。
そんな父のことを憶えてくれていた人がいた。13年前にオーディションの審査員をした方と再会できたのだ。入賞できず、せっかく応援に来てくれた両親に申し訳ないなと思っている私のもとへ、ただひとり声を掛けに来てくれた人。
「貴女はオリエンタルな音楽を目指した方が良い。音源ができたら送ってください」と。どれだけその言葉に救われたことだろう。音源を送らぬまま年月は流れてしまったけれども、その方の言葉通り、私は今、オリエンタルな音楽を歌い続けています。
「君が去り もう四度目の春来訪」
■蘭華(らんか) 古来から伝わる伝統美をこよなく愛し、「二胡」や和楽器の旋律を散りばめた大陸的なサウンドと美しく透明感溢れる歌声で、幅広い世代から注目のシンガーソングライター。日中国交正常化40周年記念式典ライブ、クリフ・リチャード香港ライブオープニングアクトなどに出演。「釣りロマンを求めて」「朝だ!生です 旅サラダ」他数々の番組テーマソングを担当。2011年、カバーアルバム「昭和を詠う~大切なものへ」をキングレコードベルウッドレーベルより発売。2014年、亡き父への想いと、母への感謝の気持ちを綴った待望のニューシングル「花時」をリリース。NHK-BSプレミアムドラマ「ダンナ様はFBI」主題歌に起用された「三日月の影」収録。2015/3/11 16:56 更新