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「これは、よう手のかかる子やったわ」──。寝台特急「トワイライトエクスプレス」は、1989年から臨時寝台特急として大阪~札幌間で運行されてきたが、12日に惜しまれつつラストランの時を迎える。初運行からずっとこの客車管理を担当する車両管理係の羽生隆男さん(58・JR西日本 網干総合車両所宮原支所)にとっては「とても手のかかる大きな子ども」だという。間もなくラストランを迎えるが、羽生さんも今年の夏で早期退職の時を迎えるという。客車ひと筋、男気ある鉄道マンに話を聞き「わが子」の中まで案内してくれた。一方で、ラストランを前にトワイライトは2日連続で運休となっているが、12日は運行される予定。
楽しいことよりも検査で苦労した思い出多い
[写真]ラストランを前に「わが子」というトワイライトエクスプレスについて語る羽生さん
羽生さんは、鹿児島県の種子島出身。18歳の時から現在の仕事に就き、これまでにブルートレイン「日本海」「つるぎ」「ちくま」などを担当してきた。「ワシなんかは下積みのころからやってきて、こんな風に車両の検査マンになるには8年くらいかかったんですわ」
1989年の運行当初から、このトワイライトに携わり、様々な思い出がいっぱい。「楽しいことよりも正直、検査とかで苦労して大変なことが多かったですわ」。だが、このトワイライトはJR西日本の看板でもあり、自身の鉄道人生の中でも「とても大きな存在」だったという。
車両を前にトンカチ片手に異常がないかをチェックする羽生さん。「キーン、キーン」と音を響かせている瞬間は、おだやかな表情が一気にりりしい表情に変わる。乗客。乗員の安全を守るため、細かい点ひとつ逃さず管理する、とても大変な仕事である。
トワイライトが去った後、自身も早期退職へ
[写真]トワイライトエクスプレスについて語る羽生さん
羽生さんの鉄道人生の中でも、大きな存在であるトワイライト。「まだまだ走れるのでは?」という問いには「車としてはまだ走れるよ」と即答。だが、この特別な寝台特急である以上「お客様を満足させる」という点では限界もあちこちにきているという。
「例えば、ドアひとつにしても、レールのすべりが良くなかったりしたらなおしたり、窓ガラスに熱線入れたり。そうすると保守の立場としては仕事が増えていく、もちろんメンテナンスはきっちりやってくれてるけどね」。このことを思えば、よくここまで良い状態で走ってきていると、羽生さんは自信を持って話す。
これだけ手をかけてきた「わが子」は、間もなくラストランを迎え、羽生さんも今年7月に早期退職する。「この支所には、トワイライトとかの客車、機関車、電車の班に分かれている。そこで客車がなくなるわけで、このへんでもういいかなと思ったというのが、ひとつのきっかけかもしれないですね」
客として乗車したことはない。「そういう点では、お客様の気持ちがわからないかもしれんね(苦笑)。けど、ワシらはいつもと変わらず、一つひとつていねいに保守することが仕事やから」と笑顔で語る。
外だけでなく部屋の一つひとつを隅々までチェック
そんな羽生さんが「いつもこんな風に作業してんねん」と客車の中で点検の様子を見せてくれた。客車の部屋のスイッチ一つひとつまでを細かくチェック。「せっかくお客さんに寝台特急を使ってもらうのに、不備があったら申し訳ない」
[写真]車外の点検はもちろん、客室のボタン一つひとつを細かくチェック。いすのすわり具合も、このようにチェックしていた
電灯から防犯非常ベル、火災報知機や煙感知器まで一部屋ひと部屋すみずみまでをチェックする。「お客様の気持ちがわからんかもしれん」と口では言ってはいたが、客が安全・快適・楽しくすごせるようにと取り組む姿は、客の気持ちを人一倍考えているからこそのものだった。
運行開始以来26年もの間、地球470週分にわたる約1900万キロもの距離を走り、約116万人もの乗客を乗せてきたトワイライトエクスプレス。楽しい旅は、こうした車両管理をはじめ、多くの人の支えがあって成立していたことになる。
羽生さんは「最後のは見送りに行くかわからんし、別の仕事をしてるかわからへん。けど、どっちにしても最後までわが子をしっかり見てから送り出す。平常心ですよ今のところは」と言い残し、作業に戻っていった。
地図URL:http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.70197516170515&lon=135.49513499993157&z=13
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