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行政・商業・住宅などの街の機能を中心地に集約する「コンパクトシティ構想」。4年前の東日本大震災で被災した自治体のいくつかでは、防災機能にも優れた災害に強いまちづくりとして、このコンパクトシティ構想に基づいた計画が立てられました。その一つが宮城県山元町です。町では、一刻も早い復興の実現が求められる中で、住民合意を築き上げていく難しさが浮き彫りになっています。
4000人……深刻な人口流出
[写真]3つの市街地の一つ「新山下駅周辺地区」では復興工事が進む。写真中央のコンク リートの橋の部分が、JR常磐線の新山下駅となる
宮城県南部の沿岸に位置し、仙台市から車で1時間。イチゴ生産とホッキ貝漁が盛んな山元町は、町の総面積の3分の1となる約1900ヘクタールが津波で浸水し、水田、イチゴ畑、漁港などの産業基盤は壊滅的な被害を受けました。町民の半数以上の約9000人が津波で被災。死者635人、全壊・大規模半壊した家屋は2751棟にも及びました(2015年3月1日現在、山元町の発表。死亡者数には震災関連死含む)。
震災後の人口流出は深刻で、震災前の人口は約1万6700人でしたが、その23%、約4000人が町を離れました。すでに一部では災害公営住宅への入居や、造成された集団移転地の土地受け渡しも始まりましたが、いまも約1000世帯(2014年末現在)の町民が、応急仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らしているという状況です。
10集落を3つの新市街地に集約
[図]3つの新市街地に街の機能を集約する山元町のコンパクトシティ構想(山元町震災復興計画より)
2011年12月、斎藤俊夫町長がコンパクトシティ構想を前提とした復興計画の基本構想を発表しました。被災した沿岸部の10集落を内陸に新たに造成する3つの新市街地へ集約し、JR常磐線と2つの駅も移設するという計画です。
斎藤町長は、まず復興の完遂を2018年に設定しました。そして、その時の人口を1万3700人と想定します。その規模に合わせて、町をコンパクト・スリム化するのが狙いです。行政施設、病院や福祉施設などのインフラと、商業エリアや居住エリアなどを集約することで、縮小した人口規模とそれにともなう予算でも、効率的に町政を運営できるメリットがあります。
高齢化が進み社会保障費などが嵩むことが避けられない中で、行政の効率化は日本中の地方自治体にとって大きな課題となっています。長い歴史の積み重ねで出来上がった街を効率良く集約することは、一般的には極めて困難です。震災によって壊滅的な被害に遭い、国の大きな支援を受けて新たに街づくりをしていく被災地だからこそ、コンパクトシティ構想を実現できると言われています。
一方で、新しく作られる市街地以外の人にとっては、代々受け続いてきた土地を離れなくてはならない人が出てしまいます。また、大きな被害を受けた家屋と、高台で津波被害をまぬがれた家屋が、それぞれ存在するような集落では、新しい市街地に移れる人と移れない人が出てしまい、コミュニティが破壊されるケースもあるのです。
町長の進め方を批判する声
[写真]斎藤町長の町政運営は強引だと批判する山元町の遠藤龍之議員
いま山元町では、町長が発表した基本構想に基づいて、それぞれ個別の課題ごとに復興計画を進められています。ところが「町長の手法が強引だ」として、町議会が一斉に反発する事態となったのです。2013年12月には、議会で町長の問責決議が全会一致で可決。2014年4月の町長選挙では、町長を推す議員と対立候補を推す議員が真っ二つに割れ、斎藤氏が辛くも再選し、町長のコンパクトシティ構想が進められることになりました。しかし山元町の遠藤龍之議員は、選挙後は町議会の運営までも町長の独断専行が激しいと批判しています。
「町長は、町民との合意形成を図ろうとしないし、議員や職員との意思疎通にも欠けている。一昨年末の問責決議では全会一致だったが、選挙後の町議会は、町長に従う議員と従わない議員が7対6になった。それからは、誰が何を言おうと町長が強引に議決して、何も聞こうとしない」
こうした町長の強引な進め方は 、昨年の選挙では町長に一票を投じた町の人たちから批判が出ています。「町長が人の話を聞かな過ぎるから議会が割れるんだ。もう少し人の話を聞かないとダメだ」(50代男性)。
今年2月、斎藤町長は、仮設住宅について入居期間を一律に再延長しない方針を明らかにしました。来年夏に5年間の期限を迎える仮設住宅ですが、それまでに移転が適わない住民には1年間の「特例延長」を設けると説明するものの、仮設住宅の住民からは戸惑いの声も上がっています。『河北新報』(2月15日付)によると、斎藤町長は「被災者に自立を目指してもらう目的で取り組んでいる」と説明。「基本は自立だが、まだ難しい人も一定数いる。個々のケースを把握し、(対象外でも)それに応じた支援のありようを検討したい」と発言しています。
しかし町の調査に対して、無回答の世帯は特例延長の対象から外れます。個々に事情を抱えて自立再建の計画が明確に出来ない住民に対して、まずは仮設住宅から出ていくことを突きつけるやり方に反発が生まれているのです。
前述の遠藤議員は「我々が主張しているのは、町民が十分に納得できる話し合いが進んでいるのかということ」と言います。
例えば、2016年末にはすべて完成する予定になっている新しい3つの市街地で、宅地の分譲が決まったのは7割弱に留まっています。災害公営住宅への移転も、まだ全体の3割強。せっかく作られた新市街地でも、住民が集まらなければ地域経済が回らず、商業エリアが活性化されることはありません。「中心地になる『新山下駅周辺地区』は何とかなるかもしれない。しかし、あとの2つの新市街地は、本当に計画通りに人や店で賑わう町になるのか、まったく不透明だ」と遠藤議員は指摘します。
「復興を止めてはいけない」
[写真]仮設住宅から集団移転先に再建される自宅へ移転するのが待ち遠しいという上原イチ子さん
町民から戸惑いの声が聞こえるとはいえ、町長が再選したことからも分かるように、復興計画は概ね支持されています。
震災前には坂元駅近くにあった自宅が津波で流され、現在は仮設住宅で暮らす上原イチ子さん(82歳)は「いま町長が変わってしまったら、復興が止まってしまうでしょ。途中で変わるのはオカシイ」と言います。避難先を転々とした後に仮設住宅に入居しましたが、新市街地の集団移転先に造成される土地が今年6月ごろには引き渡される予定で、年内には自宅が再建できるそうです。
「やっぱり仮設住宅は窮屈。それでも慣れてきちゃったけど、やっぱり早く一戸建ての家に住みたい」
いま被災地では、建設現場の人出不足・資財不足が深刻で、上原さんの家を建てる工務店でも大工職人を確保するのが難しいそうです。さらに、移転先では震災以前の半分の土地しか分譲されません。庭や畑で野菜が作れなくなるのは残念と言う上原さん。それでも、ようやく自宅が新築できる目処が立ち、新居の出来上がりが待ち遠しい様子です。上原さんが震災前に住んでいた地域の人の多くが、同じ市街地に集団移転ができるので、それまでのコミュニティも継続されるので安心だと言います。
「今から人が減ってくばっかで、人が増えていくって事はないでしょ。人が少なくなるんだから、町がコンパクトになる方がいいでないかって思う。復興計画が無事に進んでいって欲しい」
「住民が納得できる復興を」
[写真]新市街地の造成・復興工事が進む一方で、それ以外の地域はまだ手つかずの状態。 中浜地区は、津波に呑まれた中浜小学校の校舎を震災遺構として保存し、その周辺 にメモリアル公園を建設して、防災教育やボランティアガイドの活動拠点とする 計画
こうして復興が着々と進む中、「新山下駅周辺地区」の造成地にあった農地の地権者であるKさんは、復興計画を強引に進めるやり方に納得できないと話します。Kさんは農地も自宅も津波被害に遭い、現在は仮設住宅で暮らしています。
Kさんは、「新山下駅周辺地区」など復興計画の対象地区のなかで約1.6ヘクタールの地権者ですが、すべてを拒否しているわけではありません。新しくJR常磐線の線路となる土地など、復興計画に欠かせない土地約1ヘクタールの売却には応じています。残ったのは、新山下駅となる周辺で、売却に応じなくても復興作業が遅れない土地の売却に限って拒否しているのです。
そんな折、宮城県の収用委員会は今年1月、町からの申請を受けて収用を認める裁決を下しました。今後、Kさんの土地は、強制的に収用される可能性ができてきたのです。
「農家の中には再開の目処すら立てられない人も多い。そんな中で、立派な田んぼを捨てさせて、米作りを再開させようという人間の権利を奪おうとしている。こんなやり方には納得できない」
計画完成まで迫るリミット
町の復興計画の完成は、2018年度末となっており、あと4年です。それまでに計画を1つにまとめなければなりません。復興は地域住民との十分な合意形成は必要不可欠です。強引なトップダウンと指摘される山元町のコンパクトシティ構想がどのように実現していくのか……。新しいまちづくりは全国的なテーマであるだけに、議論の行方が注目されます。
(渡部真/フリーランス編集者)
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