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撮影会に登場するポニーの「武蔵」(左)と「小次郎」(右)
全国に32カ所の乗馬クラブを展開する「乗馬クラブクレイン」は12月5日と6日に、東京都千代田区の霞が関ビルディングで「ポニーとのふれあいと年賀状用写真撮影会」を実施する。
ポニーに癒やされて午年を迎えよう!同イベントには、来場者がカメラを持参すれば、誰でも参加することができる。「乗馬クラブクレイン伊奈」で飼育されているポニーの「武蔵」と「小次郎」が登場。両日11時から18時半まで、ウマの体調に合わせて休憩をはさみながら実施する。
会場の所在地は、千代田区霞が関3-2-5 霞が関ビルディング 霞テラス。料金は無料となる。
JR東日本秋田支社は9日から、秋田駅西口の駅名看板のライトアップを開始する。既存の電力設備は使用せず、太陽光発電で蓄えた電気のみを使用して点灯を行うという。
JR秋田駅
秋田駅ではこれまで、駅名看板の夜間点灯を行っていなかったが、「秋田デスティネーションキャンペーン」を機に、駅や駅前の環境改善を図ることに。太陽光発電による駅名看板の点灯は、その中のひとつとして社員が発案したという。
ライトアップのための発電設備は、同駅屋上に設置した発電容量360Wの太陽光パネル(180Wが2枚)。日中に発電した電気はバッテリーに蓄えられ、夜間の点灯に使用される。照明設備には消費電力の少ないLED照明を採用。16.3WのLED9個を駅名看板に配置し、300ルクス程度の照度を保てるようにしている。ただし、太陽光発電100%の照明であるため、「日照条件によっては点灯しないこともある」とのこと。
「C」の中にツツジがあしらわれた「Coconeri」ロゴ
東京都練馬区はこのほど、練馬駅北口区有地に来年4月に開設する複合施設の名称が「Coconeri」(ココネリ)に決定したと発表した。
"ここ"からはじまる、"ねり"まの新生活2014年4月に開設するのは、区民・産業プラザや子育て支援施設などの区施設と、スーパーマーケットや回復期リハビリテーション病院などの民間施設からなる複合施設。今年5月に名称を募集したところ469件の応募があり、これらをもとに施設名称選定委員会で審議を行い、決定したという。
今回決定した「Coconeri」(ココネリ)という名称には、「ここからはじまる練馬の新生活」「交流、経済活動、社会復帰、子育てがここを拠点にはじまる」という意味を含んでいる。また、ロゴの「C」の中には同区の花であるツツジがあしらわれた。あたたかな響きと斬新なデザインで、未来の練馬の中心核を形成する拠点として、末永く利用者に親しまれる施設となることが期待される、としている。
「Coconeri」完成予定外観図
同施設の所在地は、東京都練馬区練馬1-17-1。施設概要は、5~8階:回復期リハビリテーション病院(民間施設)。4階:子ども家庭支援センター、保育施設等、練馬産業振興センター(区施設)、ひろば(共用施設)。3階:区民交流ホール(Coconeriホール)、練馬産業振興センター、区民協働交流センター(区施設)。2階:衣料品店、ドラッグストア、カフェ(民間施設)。1階:スーパーマーケット(民間施設)。地下1階:区立自転車駐車場(区施設)。地下2階:駐車場(民間施設)。
JR貨物は10月18日、企業の物流担当者向けの鉄道コンテナ輸送説明会を横浜羽沢駅(神奈川県横浜市)にて開催する。
JR貨物の貨物列車。牽引機はEH200形
この説明会は横浜エリアから全国各地へ貨物を発送している、もしくはする予定のある企業などが対象で、鉄道コンテナ輸送について説明するほか、鉄道貨物を一定割合以上利用している商品や企業が取得できる「エコレールマーク」について紹介。鉄道コンテナを利用している企業の担当者による生の声を聞く時間も設ける。各種コンテナの見学も実施し、トラックなどを主体とした輸送から、環境負荷の少ない大量輸送手段への転換を図る「モーダルシフト」のメリットも企業にアピールする。
「横浜エリア 鉄道コンテナ輸送説明会」の開催日時は10月18日13時45分から17時頃まで。参加希望者は、9月27日までにJR貨物南東京支店神奈川営業所宛てにFAXかメールにて申し込む必要がある。定員は40名で、応募多数の場合は抽選。説明会当日は横浜駅西口・天理ビル前から横浜羽沢駅までバス送迎を行う。
名古屋人には、名古屋県でないわだかまりを抱えている人もいる!?
筆者の生まれは愛知県の地方都市。「生まれはどこ?」と他県の人に聞かれると「名古屋です」と答えるようにしている。なぜなら名古屋といえば 「ああ名古屋ね」と思ってくれるが、愛知と答えると「えっと愛知ってどこだっけ」と言われることが少なからずあるからだ。
行政的な意味合いでは当然「愛知県>名古屋市」だ。しかし、世間的な知名度は確実に「愛知<名古屋」となっている。「もう名古屋県でいいんじゃないか」という若い人の声すらチラホラと聞こえてくるが、実は過去に実際に「名古屋県」という県が存在したということ、みなさんはご存知だったろうか?
わずか1年足らずで消えた「名古屋県」「名古屋県は、明治4年(1871)7月から明治5年(1872)4月まで実在していた県なんです」。そう教えてくれたのは名古屋市博物館学芸室の種田祐司さん。わずか1年足らずで消滅した「名古屋県」、その数奇な運命とは?
大ざっぱにいうと、現在の名古屋市は江戸時代の尾張藩の領地だ。言わずと知れた(と名古屋人が勝手に思っている)徳川御三家の筆頭であり、大名ヒエラルキーのトップに君臨する存在である。
「名古屋県」時代の存在を知っている人は少ない(写真は名古屋城)
江戸時代が終焉(しゅうえん)を迎え明治維新に突入すると「廃藩置県」が行われ、江戸時代の「藩」がいまの「県」になった。このように学校で教えられた人も多いだろう。しかし、実際はその前に「版籍奉還」というものが行われている。
これは「大名の持ち物だった領地と領民を天皇に返す」という名目のもの。いわば廃藩置県の前のワンクッション。実は「尾張藩」とは大名の領地を指す通名で、正式名は存在しなかったそうだ。それを、版籍奉還を機に「領地に正式名を付けよう」ということになり、「城下町のあるところは、それが藩の名前になったそうです」と種田さん。
もちろん、尾張藩は名古屋城下なので、明治2年(1869)に「名古屋藩」が誕生したというわけだ。そしてその2年後に廃藩置県があり、明治4年7月14日に名古屋藩がスライドして「名古屋県」となった。しかし、明治5年4月2日、名古屋県は「愛知県」と改称されてしまう。つまり、わずか9カ月で日本から名古屋県は消滅してしまったのだ。
わずか9カ月間で日本から消滅した「名古屋県」だった(写真は現在の名古屋景観)
《人心を一新》して「愛知県」へなんと儚(はかな)い運命……。この改称の経緯について、「名古屋市史」などいろんな資料を読んでも理由についてほとんど触れていない。しかし何かウラがあるはずだ。それを種田さんに質問すると、「はっきりしない部分はありますが、どうも《人心を一新する》という意味があったようです」と言う。
《人心を一新する》!? なんだか奥歯に何か挟まったような表現……。「あくまで俗説ですが」と前置きして、種田さんは言葉を継ぐ。「このとき愛知を始め、島根や愛媛なども続々と改称しているんです。共通しているのは、みな徳川家の身内や代々の臣下である、譜代大名の家柄だったということです」。
徳川幕府を倒して成立した明治新政府は、薩長などが中心勢力だ。今までの県名を使うのは新政府の覚えがよろしくない。だから、《人心を一新する》という名目で県名を変えたということらしい。
現存する文書上では自発的に名古屋県が変えたとなっているそうだが、真相は藪(やぶ)の中。どちらにしろ、明治政府に忠誠をアピールするという狙いがあったのではないか。そう種田さんは推測している。
その後、愛知県はお隣の額田県(三河地方)を合併していまの愛知県のエリアが成立し、現在に至る。それにしてももしあの時、新政府に配慮していなかったら(待望の?)名古屋県が存在していた可能性は十二分にあったのだ。そして筆者も「どこの生まれ?」と聞かれて、「ふふん。名古屋(県)じゃ!」そう答えることができたってわけである。