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医師免許を持つ同派の僧侶らが、終末医療などの現場で死に直面した患者にいかに向き合うか、という問題意識をきっかけに、僧侶や門徒同士の交流を深めようと参加を呼びかけ、他宗派の関係者も賛同した。今後、具体的な活動内容を話し合い、医療現場での宗教的なケアのあり方を探る。
同会設立の背景には、医療技術の進歩で寿命が延び、患者や医療従事者が、生や死のとらえ方について悩む場面が増えたことがある。「死んだらどこに行くのか」「病で苦しんでまで生きる意味があるのか」など、医学の知識では答えられない患者の不安や悩みに向き合い、寄り添える医療現場の実現が目的だ。
同派の僧侶や門徒の医師らが発起人となり、昨年10月から参加を呼びかけたところ、84人が集まった。うち、15人は他宗派の僧侶や門徒らだった。
茨城県古河市の時宗寺院・一向寺で住職を務めながら、大学病院の緩和ケア病棟で傾聴ボランティアをする内科医の峯崎賢亮さん(58)は、「今の医療現場には、仏教の教えに基づく支援が必要。宗派は関係ない」と参加を決めた。医局勤務時代、死を前にした患者に接するたび、「死に関して自分なりの哲学や宗教観を持っていないと、患者の不安な心境は理解できない」と感じた。「死に関する哲学のある仏教が、医療現場には必要。会で学びたい」と話す。
緩和ケアだけでなく、外科や小児科など、様々な専門科の医師も集まる。大分県別府市の宝蓮寺の僧侶で小児科医の國東信隆さん(41)は、治療しても助からないという現実を、子どもの家族に伝えるかどうかで悩み続けてきた。「助けられないとわかっても『頑張ります』と答えていていいのか。患者が死を受け入れ、残された時間を家族と一緒に過ごすことができたのでは」と自問することもある。「患者にとって最善の最期の迎え方を手助けする方法を、医師の会で探りたい」という。
初会合では、会員同士が情報交換し、患者に寄り添うための具体的な方法を探る。本願寺派の本多隆朗総務(71)は、「医療と仏教が協力し、患者が最後まで悔いなく『生ききる』ために学び合える会になれば」と話している。(落合宏美)