東京は日本の政治・経済の中心地だが、その中核を成す23区は千代田区・港区といったビジネス街、新宿区・渋谷区といった繁華街、文京区・世田谷区といった高級住宅街、台東区・墨田区といった下町など、地域によって顔が異なる。
その中でも、足立区は長らく「治安が悪い、街が汚い、貧乏くさい」といったネガティブなイメージで語られてきた。ところが、最近になって足立区の巻き返しが始まり、注目が集まっている。
足立区が注目されている理由はいくつかあるが、特に大きな要因とされているのが、足立区ナンバーワン繁華街である北千住の利便性向上だ。
2015年3月14日、上野東京ラインが開業する。上野東京ラインとは、それまで上野駅発着だった宇都宮線(東北本線)・高崎線・常磐線の3線の線路を延伸させて東京駅までを結ぶ東北縦貫線という路線の愛称だ。これにより宇都宮線・高崎線・常磐線の列車が東海道本線を介して品川駅まで乗り入れる。一方、東京駅で折り返していた東海道本線の列車も、それぞれ宇都宮線・高崎線・常磐線に乗り入れる。
そうした鉄道体系の変化は、観光客の行動を変え、北千住に経済効果をもたらす。北千住の商店街では、3月14日を前に期待が高まっている。最も大きな変化は、まず熱海・伊豆へと走る特急列車「踊り子」が臨時列車扱いながら千葉県の我孫子駅まで乗り入れることだ。もちろん、北千住駅にも特急列車「踊り子」は停車する。もともと北千住駅は東武鉄道の主要駅のひとつでもあり、交通の便は都内でも指折りの場所だった。つくばエクスプレスや東京メトロ日比谷線・千代田線などが通り、東武鉄道が運行する浅草駅発着の特急スペーシアがすべて停車する。加えて、09年からは地下鉄千代田線を介して小田急ロマンスカーも発着するようになった。
東武鉄道のスペーシアは国際的観光都市である日光や東武鉄道が力を入れる鬼怒川に走る観光特急で、近年は外国人利用が増えている。小田急ロマンスカーは箱根へと走る人気特急。つまり、北千住からは日光・箱根・熱海伊豆といった日本屈指の観光地に行くことができるようになったのである。ある鉄道雑誌編集者はこう話す。
「どこの鉄道会社にもいえることですが、近年は少子高齢化の影響もあって利用者が減少傾向にあります。そうしたことから、鉄道会社は利用客を増やすのではなく、客単価を上げる方針にシフトしています。高齢者は金も時間もあるので、値段を気にせずにワンランク上の旅を楽しむ傾向があります。常に人気観光地となっている日光・箱根・伊豆へと走る特急列車は観光客にとって魅力的ですし、旅行会社としても売り出しやすいです」●ネガティブイメージ払拭への取り組み
これまで東京の街で話題になるのは新宿・渋谷・原宿といった若者が闊歩するエリアであり、東部エリアはあまり脚光を浴びることがなかった。話題に上がるとしても東京駅周辺や上野動物園などがほとんどで、北千住は宿場町としての歴史はあるものの、メディアなどで取り上げられる機会は少なかった。
話題のスポットが西部に偏重している状態を打破する起爆剤として期待されたのが、12年にオープンした東京スカイツリーだ。しかし、スカイツリーの地元の商店街で話を聞いて回ると、スカイツリー効果は思ったほどではなかったと肩を落とす商店主が多い。結局、魅力を打ち出せる観光資源が東京スカイツリーひとつでは観光客は長時間滞在してくれず、経済効果は限定的だった。
お膝元である墨田区ですら思うような経済効果を得られなかったのだから、足立区に至ってはその経済効果を実感することは難しい。それでも足立区は地道な努力を続けてきた。観光客の取り込みだけではなく、東京都民や近隣の千葉・埼玉県民にも足を運んでもらえるような町づくりに励んでいるのだ。
足立区は先にも触れたように「治安が悪い、ガラが悪い、汚い、下品」といったネガティブなイメージがつきまとっていたため、行政もそうしたイメージを払拭する施策を試行錯誤してきた。
例えば、足立区の住宅街では夜間に公園にたむろする若者たちが遊具などを破壊する事件が頻発し、近隣住民から「怖くて、夜は外出できない」と苦情が出ていた。足立区はそれらの対策として、09年に若者だけが聞こえる不快音「モスキートーン」を発する機器を公園に設置して、若者が公園に長居できないような策を講じた。ちなみに、この施策は健全な青少年も排除することにつながるとの批判があったことから、現在は行われていない。
●犯罪減少、大学キャンパス続々開設…
代わって現在、足立区が力を入れているのが、08年から開始した“ビューティフル・ウィンドウズ運動”だ。
「足立区は、刑法犯の認知件数が23区ワーストワンという不名誉な記録を更新していました。これらの内訳は放置自転車の盗難が圧倒的に多く、必ずしも足立区で凶悪な犯罪が多いわけではありません。しかし、イメージが独り歩きして、『足立区は怖い』と思われているのも事実です。そこで自転車の盗難やゴミのポイ捨てを防ぐなど、犯罪が起こりにくい土壌をつくるためにビューティフル・ウィンドウズ運動を始めたのです」(足立区役所広報) 足立区のビューティフル・ウィンドウズ運動は、「ブロークン・ウィンドウ(壊れ窓)理論」【編註:軽微な犯罪を徹底的に取り締まることで、他の犯罪も抑止できるとする理論】に基づいて治安を向上させた米ニューヨーク市を手本としている。足立区では、町内会などと連携して防犯パトロールに乗り出すといった防犯対策のみならず、歩行喫煙禁止の徹底、駅前広場や公園などの清掃、公共空間の緑化にも積極的に力を入れた。運動の効果は数字にも表れ、刑法犯の認知件数23区ワーストワンを返上することに成功した。
「最近、北千住は住みやすくなったという評判を耳にすることが多くなりました。これもビューティフル・ウィンドウズ運動の成果だと思います。しかし、これで十分だとは思っていません。足立区が区民を対象にした意識調査では、まだ41%の区民にしかビューティフル・ウィンドウズ運動は認知されていないのです。当面の目標は、区民の認知度を50%にすることです」(同)
くしくも北千住近辺には、06年に東京芸術大学がキャンパスを設置。ビューティフル・ウィンドウズ運動が広がるのと歩を合わせるかのごとく、その後も東京未来大学、帝京科学大学、東京電機大学がキャンパスを開設した。こうした大学の進出も、足立区のイメージアップに貢献している。
国際観光都市と文教都市――足立区の逆襲はまだ始まったばかりだが、これまでのイメージからは想像できない、新しい足立区の未来図が描かれようとしている。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)