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未曽有の被害をもたらした福島第一原子力発電所の事故から、この3月11日で4年を迎える。「1F(いちえふ)」という略称をもつ福島第一原発の現場では、廃炉に向けた作業が続けられているが、作業員たちの肉声はなかなか届いてこない。そんななか、現役の原発作業員自身が収束作業の実態を描いた漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(2)』が2月下旬に講談社から発売された。昨年4月に刊行されて大きな反響を呼んだ第1巻の続編だ。
作者は、2012年と2014年の2回にわたり、福島第一原発(1F)の敷地内で作業員として働いた竜田一人さん(50)。第1巻では、自らの体験にもとづいて、1Fの内部でどんな作業が行われ、作業員たちがどんな会話をしているのかを丁寧に描いたが、第2巻ではそれにとどまらず、原発の外での作業員たちの日常生活も紹介している。
竜田さんはどのような思いを抱きながら、原発作業員として働き、その実態を漫画という形で表現しているのか。1Fをめぐる内外の変化をどう見ているのか。二足のワラジを履く「覆面漫画家」の本音を聞いた。(取材・構成:亀松太郎、高橋洸佑)
●「誰も働く奴がいない」というのはウソだった
――『いちえふ』の第1巻では、竜田さんが1Fの仕事を探しているとき、ハローワークの人から「本当に良いんですか?」と聞かれるシーンが出てきます。実際のところ、原発で働くことに対する「怖さ」はなかったんですか?
「怖さが全くないというわけではなかったです。震災以降、いろんなデマが飛び交っていて、放射能の恐怖をあおっていましたから。ただ、『本当はどうなんだろう』と自分なりに調べみたら、原発でずっと働いている人がいる一方で、何かの健康被害が出ているという話はなかった。作業員が浴びている放射線量とかを調べてみた結果、将来、健康被害が出ることもないだろうと、自分なりに判断しました。だから、ハローワークで『本当にいくの?』と聞かれても、『行きますよ』という感じでしたね」
――でも、いざ1Fの仕事を探し始めてみると、なかなか仕事に就くことができなかった
「そうなんですよ。世間では『(福島第一原発は)誰も働く奴がいない』とか、『大阪の労働者をだまして連れて行った』といった話があったので、『働こうと思えばすぐに働けるのかな』という思っていたんですけど、意外にそうでもなかった」
――それは、意外と1Fで働きたい人が多かったということですか。
「そうですね。世間で言われているほど、人手不足という感じでもなかった。それに、下請けの構造が何階層もあるので、元請けから発注があっても下に降りてくるまでに時間がかかったり、事業計画はあっても実際に工事を始めるまでに調査しなければいけなかったりといった事情もあって、すぐには始まらないんです」
――漫画の中には、1Fがある福島県の東部地域(浜通り)出身の人たちがたくさん出てきますが、実際に中で働いているのは、地元の人が多いのでしょうか。
「9割がた地元ですよ。1Fの中の共通言語は『浜通り弁』ですから。『誰も行きたがらないから全国から労働者を集めている』みたいに思われているけど、実はそういうわけじゃない」
●福島の人から「ちょっと安心した」と言われた
――1Fの内部を見てみたいという好奇心はありましたか?
「正直にいえば、『あそこで働いて日本のために』という気持ちよりも、興味があるから行ってみようというのが大きかったですね。また、業界の末端とはいえ、過去に漫画家としてやっていた経験もあったので、『見てきて面白いものがあったら、漫画を描くかもしれないな』と思っていました」
――実際に行ってみて、漫画を描こうと思ったのはどうしてですか。
「職探しをしているときから、仕事が決まりかけたのに業者がいなくなっちゃったりする。もう漫画みたいな話なので、これは面白いなと思ったんです。さらに実際に1Fの中に入ってみたら、世間で言われているイメージとあまりにも違うので、これは描いてみたら面白いんじゃないかな、と」
――漫画を描いていくうえで、苦労したことは?
「いろんなところに気を使うことですね。これを描いちゃうと防犯上まずいんじゃないかとか、あまり詳細に描いてしまうと下請けさんに迷惑がかかるだろうとか、そういうことに気を使いました」
――第1巻の発表後、読んだ人からどんな反応がありましたか。
「印象深かったのは、福島に住んでいる方から『(福島第一原発の)中の様子がよく分かってありがたかった』とか『ちょっと安心した』と言われたことですね。別に安心させようと思って描いているわけではないですけど、結果的に不要な不安が払しょくされる人がいたら、うれしい。普通のおっさんがあそこで飯食って昼寝している、ということだけでも、世間で言われていることよりは普通のことなんだというのが、分かってもらえればうれしいですね」
●中で働いていると感覚が麻痺してくる
――竜田さんが実際に働いた原子炉建屋の中では、どんな作業をやっていたのでしょうか。
「配管の補修作業の助手です。建屋の中で水をぐるぐる回している配管だったんですが、そのメンテナンスをやるときに水を止められると便利だということで、配管の途中に弁を付けようという作業です」
――放射線は人間の知覚で感じることができないので、本当の危機感を感覚的に持てない部分もあると思います。原発内で作業しているうちに、感覚が麻痺してしまうということはありませんか?
「それはありますよ。たとえば、1Fの中でも休憩所の管理作業とかだと一日いっぱい浴びても(放射線量は)0.01ミリシーベルトとか、その程度なんです。ところが建屋内の作業に行くと、一日1ミリとか浴びることになる。0.01ミリと比べると100倍ですが、自分では全然感じないわけです。1ミリ浴びた翌日が0.5ミリだったら『今日少なかったじゃん』となりますが、休憩所の作業からみたら、ものすごく高い。そういう意味では、中で働いているうちに感覚が麻痺するとはいえますね」
――『いちえふ』では、顔面を覆っている全面マスクのバンドをきつく締めすぎたとか、作業中に鼻がかゆくなったという描写も出てきます。鼻がかゆくて、全面マスクを思わず脱いでしまうことはないんですか。
「鼻がかゆくてマスクを脱いでしまうというのは、ないですね。ただ、昨年か一昨年にどこかの建屋で、マスクがくもったので、脱いでふいたか、ちょっと指を突っ込んでふいたというのがありました。そのとき、ゴム手袋を変えないでふいたために、顔面に汚染が出て、現場で話題になりました。『こういう奴がいるから気をつけろ』と。放射線量が高いということが分かっていても、直接は自分の体で感じることができないので、ついついやっちゃう奴がいるというのは分かります」
●1Fの敷地内で「女性」を見かけるようになった
――1Fの中に作業員として入ってみて、一番驚いたことは何ですか?
「実際に中に入ってみたら『なんだ、普通じゃん』ってことですね。働いているのは普通の人だし、やっていることも、特殊な装備とかを除けば普通のこと。俺が会ったのがそういう人たちばかりだったのかもしれないですけど、みんな明るいんですよね」
――2012年に一度、1Fで作業したのち、2014年にふたたび入ったということですが、変化は感じましたか。
「漫画でも描いたように、工事が進んだというのが一番でかいですね。3号機の上のガレキがなくなっていたり、4号機にカバーがついていたり、汚染水タンクが増えていたり。工事は進んでいるんですが、木が切られて寂しい感じもしました。いまタンクが置かれているところは事故前は森があって、今でも『野鳥の森』と呼ばれているんですが、森なんかない。桜の木もいっぱいあったのが、ほとんど切られてしまっていて、事故以前の姿を知っている人は非常に寂しいと言っています」
――『いちえふ』第2巻の2014年の描写では、1Fの敷地内に「女性」がいたということで驚くシーンが出てきます。
「それも大きいですね。以前はおっさんしかいなかったのが、女性の姿を見かけるようになった。1Fの敷地のギリギリ外のところに東京電力の事務棟というのができて、そこから連絡業務何かわかりませんが、敷地内の免震需要棟のほうにも東電の女性の方がきていた。線量が下がったのと同時に、汚染もだいたい少なくなってきたので、外の事務棟から敷地内の免震重要棟に行くのに、花粉症のときとかにつけるマスクと作業服で来れるようになりましたから。以前は全面マスクじゃないと1Fの中は移動できなかったのが、今はもう普通のマスクで行けるようになりました」
――原発事故から4年になりますが、いまのメディアの伝え方について、どう思いますか?
「(原発事故の直後と比べると)メディアの発信する情報の量が減っていて、なおかつ、更新されていないですね。事故当初からしばらくの間に報道された『危険だ、危険だ』というのと、『全然作業が進んでいない』というところから、情報がなくなってしまった。『ここまで作業が進んだ』という話や『もうこういうことは起こっていない』ということは報道されない。何か報道されるとしたら『事故があって作業員が死にました』とか『汚染水がちょっと漏れました』ということだけで、ちょっともどかしいな、というのはありますね」
――今回発売された『いちえふ』第2巻では、読者に何を伝えたいですか?
「1巻のときからそうですけど、特に伝えたいとか、訴えたいということはないんです。個人的な体験を描いているだけなので、日記みたいなものだと思っていただければ・・・。馬鹿なおっさんたちが馬鹿なことをやっているのを楽しんでいただければ、それで十分です」