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被災地・気仙沼の「復興」に“ウルトラマン”はいなかった〈dot.〉

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被災地・気仙沼の「復興」に“ウルトラマン”はいなかった〈dot.〉

 被災地・気仙沼の「復興」に“ウルトラマン”はいなかった〈dot.〉

 「大丈夫。ウルトラマンが助けてくれるから」
 
  震災当時に3歳だった長男が、がれきの山を見ながらつぶやいた言葉をいまも覚えています。あれから4年、長男は小学1年生になりました。お気に入りだったウルトラマン人形は、震災の翌年に生まれた次男が遊んでいます。今になって、私も「ウルトラマンが本当にいてくれたらいいなあ」と思います。いるはずがないヒーローに助けを求めたくなってしまいます。
 
  私たち家族が暮らす宮城県気仙沼市は、東日本大震災によって1200人以上が犠牲になりました。このうち、私の母(当時63歳)を含めて226人はいまだ行方不明のままです。震災から4年が過ぎて、少しずつ心の整理がつき、住宅や産業の再建も進みましたが、「復興」という言葉は遠のいている気がします。震災直後は「震災前よりよくなることが復興だ」と目標を立てたのに、現実は震災前並みのにぎわいを取り戻すことさえ困難になっているからです。
 
 ■“巨大”防潮堤問題
 
  私は1年前から気仙沼市議会議員をしていますが、それまでの15年間は地元新聞社の記者でした。2011年3月11日は、ふるさとを襲う大津波を魚市場屋上から目に焼き付けながら、カメラのシャッターを切り続けました。「記者として復興を見届ける」と誓ったのに議員に転身したのは、復興にはあまりに課題が多すぎて、記事で問題提起するだけでは解決できないと思ったからです。復興はスピードが大切です。後先を考えることもなく、政治の世界に飛び込みました。
 
  最初に挑まなければならない課題の一つが、国内外から注目を集めた巨大防潮堤計画でした。防潮堤は震災前にもありましたが、高さは1〜5メートル程度でした。それが最高14メートルにもなるのですから、海のまちで暮らしてきた市民は騒然としました。しかも、多額の公費を投じて高い防潮堤を整備しても、東日本大震災のような巨大津波を防ぐことはできません。国は、あまりに巨大な津波を構造物で防ぐことは非現実的と判断したものの、百数十年に一度程度の大津波までは防潮堤で防ぐと考え、それに県も市町村も従ったのです。
 
  新しい防潮堤を整備して、その背後地に住宅が戻るなら話は簡単でしたが、住宅は高台に移転しました。東日本大震災クラスの津波に備えて、防潮堤の背後地のほとんどが災害危険区域に指定され、基本的に居住できなくなりました。東日本大震災クラスの地震の発生確率は、今後100年以内で「ほぼ0%」、300年以内でも「0.2%程度」と国の機関が発表しても、その流れは変わりませんでした。…

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