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GHQから守った戦禍写真=東京大空襲撮影の石川さん-遺族「若い人に見てほしい」

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GHQから守った戦禍写真=東京大空襲撮影の石川さん-遺族「若い人に見てほしい」

 GHQから守った戦禍写真=東京大空襲撮影の石川さん-遺族「若い人に見てほしい」

  警視庁時代、カメラを手にする石川光陽さん(石川令子さん提供)

   太平洋戦争中、警視庁の警視総監から東京空襲の被害状況をレンズに納めるよう命じられたカメラマンがいた。同庁の警察官だった故石川光陽さん(1989年、85歳で死去)。45年3月10日の東京大空襲も撮影し、戦後はネガを自宅の庭に埋め、戦禍の写真を没収しようとした連合国軍総司令部(GHQ)から守り抜いた。大空襲から10日で70年となる。
  石川さんの次女令子さん(74)によると、石川さんは27年に警視庁に入庁。かつて東京都内の写真館で修業した経験を買われ、警視庁ではカメラマンを務めた。東京空襲が始まると、警視総監から被害を記録するよう特命を受けた。
  昼夜を問わず、空襲警報が鳴れば、カメラを手に飛び出した。「頑固で根性のある人。死と隣り合わせになりながらも猛火に向かったのだろう」と令子さん。火の粉が舞う中を移動したため、靴底は剥がれ、顔にはやけどを負い、帰宅する頃には全身が焦げ臭かったという。
 

1945年3月10日の東京大空襲による惨状。石川光陽さんが翌11日に撮影した千代田区麹町付近(石川令子さん提供)

   「今夜の空襲は今までとは違う。死ぬなよ」。上司に案じられながら、3月10日も現場に向かった。10万人が犠牲になったとされる大空襲。石川さんの写真には犠牲になった母子とみられる遺体も写り込む。「記録するために自分の感情を押し殺していたと思う」。幼い3人の娘の父で、子煩悩だった石川さんの心境を令子さんが推し量る。
  東京大空襲後の石川さんの日記には、「泥にまみれた(カメラの)ライカを、怨みを呑んで死んでいった多くの死体に向けることは、眼に見えない霊から『こんなみじめな姿をとるな』と叱責されるような気がして、その手はふるえ、シャッターを押す手はにぶった」「然し与えられた使命を果たすためには、命のある限り撮り続けなければならないのだ」などと記されていた。
 

インタビューに答える、東京大空襲を撮影した故石川光陽さんの次女の石川令子さん=2月27日、東京都目黒区

   戦後、ネガ700~800枚は漬物のかめに入れて目黒区の自宅の庭に埋めた。GHQはネガの提出を求めたが、プリントしたものだけを渡し、守り抜いた。晩年、石川さんは戦争を知らない世代に自らの見聞してきたことを引き継ぎたいと、写真に説明を書き込んだ。
  「父の写真が若い人の目に触れ、戦争が良くないということが伝われば」と令子さん。戦争の悲惨さを語り継げるよう、残された大量の貴重な写真を整理している。

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