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2月15日放送の最新話が「視聴率11.6%」とワースト更新した大河ドラマ『花燃ゆ』の不振が話題になっている。録画機器が発達した今、視聴率だけを取り上げるのはナンセンスだが、ヒロイン中心の歴史描写や「幕末男子の育て方。」というキャッチコピーに違和感を訴える人が多いのも確かだ。
しかし、今クールには大河ドラマよりも時代劇ファンを喜ばせている作品がある。ドラマのタイトルは、NHKの木曜時代劇『風の峠~銀漢の賦』。最初に断っておくが、このコラムは決して宣伝ではなく、「良いものは良い」とみなさんに伝えたいだけ。放送が終わってしまう前にぜひ見てほしいのである。
時間軸の決まった勧善懲悪ではない『風の峠~銀漢の賦』主演の中村雅俊
物語の詳細は番組ホームページを見てもらうとして、ここでは見どころだけを書いていきたい。まずふれておかなければいけないのは、このドラマが『水戸黄門』のような"勧善懲悪の1話完結型"ではないこと。連ドラの時代劇は、「序盤で事件が起き、中盤で話が広がり、終盤で殺陣や成敗がある」という時間軸でイメージしている人が多いだろう。
『風の峠』のテーマはそのような時間軸の勧善懲悪ではなく、描かれているのは"男たちの友情と生き様"。民放の現代劇ドラマでよく見られる群像劇のようなエッセンスが強い。
「男五十 今、この命使い切る」のキャッチコピー通り、大ベテランの中村雅俊と柴田恭兵、さらに高橋和也の演技がとにかく熱いのだ。先週放送された第5話でも、故郷を守るために脱藩を試みる道中、露天風呂に浸かった源五(中村雅俊)と将監(柴田恭兵)の会話にグッと引き込まれた。
親友・十蔵(高橋和也)の死を巡って絶交している2人は、口ゲンカをしながらも思い出を語りはじめる。湯に浸かりながら源五の口から明かされたのは、「大人になり立場が変わって敵味方に分かれても、十蔵が最後まで友であり続けた」こと、「十蔵が将監の(やむを得ない)指示で殺される直前、源五に『将監を頼む』と託した」ことだった。
第3話で十蔵は、「他の者には使わせぬ。お前が使ってくれてこそ、この命が生きる」と将監に自らの命を差し出していた。だからこそ将監は「今度はオレ」と故郷を守るために命を使い切ろうとし、源五は将監に思いを遂げさせるために同行し、命を賭けているのだろう。
悪人にも小物にも「男の矜持」を『風の峠』の魅力は、この3人だけではない。周囲の人々が一人残らず魅力的なのだ。
たとえば、将監の父親を殺した家老・九鬼夕斎(中嶋しゅう)。それまで徹底的に悪者として描かれていたが、第3話で将監から切腹を言い渡されるシーンに心を揺さぶられた。将監がつい積年の恨みを口走ってしまうと、夕斎は「慢心したか、青二才。上意申し渡しの場で私事を語るとは何事!」と一喝。悪人の逆ギレかと思わせておいて、「此度のこと鮮やかだった。わしを葬るためにわしの傀儡(かいらい)の殿様ごとそっくり取り換えるとは」と一転して称えはじめたのだ。夕斎は将監の企みに気づいていたが、一揆を鎮圧するために己を差し出したらしい。そして、「家老とは己を殺して政(まつりごと)の道具とし、道具としてのみ己に生きるを許すのみ。勝手に悩めよ、我が子よ」と仇討ちを果たしに来た将監を自分の子どもと例えて腹を切った。昔は夕斎ほどの悪人ですら一本筋が通っていたということなのか……。
また、5話では次なる悪物・側用人の山崎多聞(中村獅童)に操られ、嫁のたつ(吉田羊)から罵声を浴びせられ続けた小物キャラ・津田伊織(池田鉄洋)が輝いた。義父・源五から「将監の脱藩を手助けする」という裏切りを明かされた伊織。さぞ気が動転すると思いきや、「(源五の)『たつと離縁せんでくれ、頼み申す。頼み申す……』と言う声になぜか聞きほれてしまった。此度のこと、どう転ぼうとも必ず切り抜けて見せる。泣くな、たつ」と妻の肩を抱き、初めて男気を見せた。
このドラマに登場する男たちは、武士、農民、子どもなど身分を問わず、矜持を持っている。また、それを支える女性たちも同様。厳しい時代の中で、「自分の人生を全うしよう」「命を使い切ろう」とする姿がしっかり描かれているのだ。
「これはない」と思われたらアウト『花燃ゆ』の主人公が吉田松陰の妹・杉文とわかったとき、「無名すぎる」という声が一斉に上がった。その意味で『風の峠』は、地方のとある藩が舞台で、しかもフィクションだからこれ以上の無名はないし、スケールも圧倒的に小さい。ただそれでも、リアリティを感じるのは、むしろ『風の峠』。"完全フィクション"であるのに、"準ノンフィクション"の『花燃ゆ』よりリアリティを感じる理由は何なのか?
そもそも何百年も前の話である以上、実在の人物を描いたとしても、ほとんどの時代劇がフィクションと言ってもおかしくない。コンプライアンスを気にしたテレビ局の自主規制で、身分や男女差別を描きにくくなった昨今は、なおさらフィクションの要素が強くなっている。
だからこそ視聴者にリアリティを感じさせるためには、まず「これはないでしょ」と思わせないことが大前提になる。時代劇もエンターテインメントの1つなのだから、史実にとらわれ過ぎる必要はないし、無理してまで近づけようとしなくてもいいはずだ。その点、『風の峠』は架空の人物たちを扱っているのにも関わらず、「江戸時代にはきっとこんな人々が、こんな感じで友情を育んでいて、こんな風に熱く生きていたのかな……」と思いを馳せられる脚本・演出が光っている。
もしかしたら、史実との辻褄合わせが必要な準ノンフィクションより、「時代に翻弄されながらも懸命に生きる人間を自由に描ける」完全フィクションの方が、リアリティを吹き込みやすいのかもしれない。
もちろん『花燃ゆ』は、リアリティ以外でも楽しめるポイントが用意されているし、年間ドラマとしての醍醐味もある。ここまで書いておいて何だが、"時代劇"とひとくくりにするのではなく、全く別物として見た方がいいだろう。
現在、民放の連ドラ時代劇はゼロ現在、民放の連ドラ時代劇はゼロ。2011年12月に『水戸黄門』が終了してからは、タイムスリップが前提の『信長協奏曲』『信長のシェフ』など、イレギュラーな作品のみに留まっている。
その理由は、「セットや小道具、カツラや化粧などの費用がかさむ」「ロケ地の確保とキャストの移動が大変」「時代考証に必要な資料と専門家の手配が難しい」など多岐にわたる。時代劇はこれほど制作のハードルが高い上に、若年層の関心を引きにくく、各局が二の足を踏んでいるのも仕方がないような気がする。
ただ、なかなか目にふれる機会が少なくなってきたからこそ、みなさんには良い作品は逃さず見て欲しい。そして、みなさん1人1人ひとりひとりが「良いものは良い」と声をあげることで、時代劇のクオリティを保つ一役を担ってもらえたら、と願っている。
『風の峠』は今週19日(木)の放送で終了するが、オンデマンドもあるし、木曜時代劇の次作『かぶき者 慶次』も見るからに意欲作であり、楽しみは続いていく。時代劇の伝統を引き継ぎ、情熱を傾ける人々が報われるためにも、ぜひ注目してみて欲しい。
■木村隆志
コラムニスト、テレビ・ドラマ解説者、タレントインタビュアー。1日のテレビ視聴は20時間(同時視聴含む)を超え、ドラマも毎クール全作品を視聴する重度のウォッチャー。雑誌やウェブにコラムを提供するほか、取材歴1000人超のタレント専門インタビュアーでもある。著書は『トップ・インタビュアーの聴き技84』など。