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取材に応じる陸上自衛隊第34普通科連隊長の中本尚明1等陸佐=6日、静岡県御殿場市の板妻駐屯地
人けのない薄暗い駅構内へ、防毒マスクを着けた隊員数十人が下っていった-。1995年の地下鉄サリン事件では、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の隊員ら約200人が現場に向かい、ホームや車両の除染に当たった。小隊長として霞ケ関駅を除染した中本尚明1等陸佐(46)=現第34普通科連隊長=が19日までに取材に応じ、当時を振り返った。
事件当日は代休を取っていたが、非常呼集を受け駐屯地へ急ぎ、連隊長の状況説明があると聞いてグラウンドに集まった。「サリンらしいものがまかれた。除染に向かえ」。突然の出動命令。情報は錯綜(さくそう)していた。殺傷能力の高い猛毒ガスという知識はあったが、本格的な除染訓練の経験はなく、不安を感じた。必要な装備は後から送ると言われ、現場へ急いだ。
患者は搬送された後だったが、駅周辺は報道陣などでごった返していた。大型トラックの中で除染剤を作り、作業手順を確認。駅へ続く階段の踊り場で防護服を着込んだ。数十人の部下を先導して構内へ。振り返ると全員が黙って付いて来るのが見えた。
構内は照明が消え人けがなく、廃虚のようだった。検知紙でサリンが残っていないか確認し、反応があれば入念に除染剤をまいた。皆、目の前の作業に集中していた。
続いて千葉県松戸市の車両基地に移動。日が暮れる中、車両の除染を済ませた。駐屯地に戻り、その日初めての食事を取りながら、若い隊員に「駅に入る時、怖くなかったか」と聞くと、「怖かったですが、行くしかないと思いました」と答えが返ってきた。
20年たち、隊員約1000人を率いる立場になった。「今でも『霞ケ関』と聞くと当時を思い出す。不幸にも事件が起こり、現地で任務に当たった隊員は教訓を生かさないといけない」と話す中本1佐は、さまざまな事態を想定し、優先順位を考えて訓練を重ねるよう指導している。