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将棋棋士で将棋文筆界の第一人者、河口俊彦七段(追贈八段)が、1月30日に78歳で亡くなった。長年親しくしてきた青野照市九段(日本将棋連盟専務理事)に、追悼文を寄せてもらった。
河口さんはプロ棋士でありながら、文筆で将棋棋士の人物像や才能論を語る第一人者であった。特に昭和の大棋士、大山康晴十五世名人や升田幸三実力制第四代名人を鋭く批評しつつ、いかに大棋士だったかを語らせたら右に出る者のない、唯一人と言える昭和の語り部だった。
私より17歳年上だったが、旅行や銀座にも年中同行し、遊びの中から感じる力や人とのつき合い方を学んだ気がする。
氏が将棋の師範を務めていた豊田通商の方々と行った海外旅行は、後年北京の「豊田通商杯将棋大会」につながった。銀座のメンバーズクラブ「マンクマ」で行った将棋教室に来たメンバーは、今も私の大事な友人、相談相手となっている。
氏の絶筆は奇(く)しくも本紙王座戦の観戦記、石田四段―横山六段戦で、最終譜1日分を残したまま救急車で入院となった。病室で書いた最終譜は、取られるはずの銀を決め手に使う一手だけで、その手を「逆転の人生を見た気がした」と表現していた。それは、若い頃よりも熟年になって文筆の世界で花開いた、氏の人生そのものではなかっただろうか。
生前、死んだときは音楽で送ってくれと言っていたと聞いた私は、マタチッチ指揮のブルックナー交響曲第7番第2楽章を選んだが、満足して頂けただろうか。
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