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イオレは11日、「大学生のサークル」に関するアンケート調査の結果を発表した。調査期間は2月5日~24日、対象は「らくらく連絡網」を使用する全国の大学生149名。
学生の9割がサークル・部活などに所属
大学生に「サークルや部活に所属しているか」を聞いたところ、9割以上が所属していると回答。ジャンルごとに見ると、「学内サークル」が55.0%で最多。次に「部活」(32.2%)という結果となった。3位以下は「インカレサークル」(10.1%)、「所属していない」(9.4%)、「学生団体」(8.7%)であった。
「大学生にサークルや部活に所属しているか」
「サークル・部活以外で熱中していること」では、「趣味・習いごと」(17.0%)が1位。2位は「アルバイト」(16.3%)、3位「友達と遊ぶ」(16.2%)、4位「恋愛」(14.8%)となった。
「サークル・部活以外で熱中していること」
「サークルや部活に入るメリット」については、「交友関係が広くなる」と回答した大学生が最も多く、47.5%を占めた。2位以下も「友達や恋人ができる」(16.1%)、「先輩、後輩関係を築ける」(10.1%)など人間関係を築けることにメリットを感じている大学生が多い。
「大学生にサークルや部活に入るメリット」
サークルに所属している大学生が感じる「困っている・直したいところ」については、「1人お酒が強い人がいると飲みサーと間違われる」「上下関係が激しいこと。もっと上級生は後輩に対してフランクに振る舞うべきである。またそういった環境をつくるべきだと思う」「文化系のサークルですが、特に活動をした記憶がないほど、何もできないことです。入らなきゃよかったと後悔しています」「部活の日が多く、他の人と行動することがほぼできない」などの声が寄せられた。
行政・商業・住宅などの街の機能を中心地に集約する「コンパクトシティ構想」。4年前の東日本大震災で被災した自治体のいくつかでは、防災機能にも優れた災害に強いまちづくりとして、このコンパクトシティ構想に基づいた計画が立てられました。その一つが宮城県山元町です。町では、一刻も早い復興の実現が求められる中で、住民合意を築き上げていく難しさが浮き彫りになっています。
4000人……深刻な人口流出
[写真]3つの市街地の一つ「新山下駅周辺地区」では復興工事が進む。写真中央のコンク リートの橋の部分が、JR常磐線の新山下駅となる
宮城県南部の沿岸に位置し、仙台市から車で1時間。イチゴ生産とホッキ貝漁が盛んな山元町は、町の総面積の3分の1となる約1900ヘクタールが津波で浸水し、水田、イチゴ畑、漁港などの産業基盤は壊滅的な被害を受けました。町民の半数以上の約9000人が津波で被災。死者635人、全壊・大規模半壊した家屋は2751棟にも及びました(2015年3月1日現在、山元町の発表。死亡者数には震災関連死含む)。
震災後の人口流出は深刻で、震災前の人口は約1万6700人でしたが、その23%、約4000人が町を離れました。すでに一部では災害公営住宅への入居や、造成された集団移転地の土地受け渡しも始まりましたが、いまも約1000世帯(2014年末現在)の町民が、応急仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らしているという状況です。
10集落を3つの新市街地に集約
[図]3つの新市街地に街の機能を集約する山元町のコンパクトシティ構想(山元町震災復興計画より)
2011年12月、斎藤俊夫町長がコンパクトシティ構想を前提とした復興計画の基本構想を発表しました。被災した沿岸部の10集落を内陸に新たに造成する3つの新市街地へ集約し、JR常磐線と2つの駅も移設するという計画です。
斎藤町長は、まず復興の完遂を2018年に設定しました。そして、その時の人口を1万3700人と想定します。その規模に合わせて、町をコンパクト・スリム化するのが狙いです。行政施設、病院や福祉施設などのインフラと、商業エリアや居住エリアなどを集約することで、縮小した人口規模とそれにともなう予算でも、効率的に町政を運営できるメリットがあります。
高齢化が進み社会保障費などが嵩むことが避けられない中で、行政の効率化は日本中の地方自治体にとって大きな課題となっています。長い歴史の積み重ねで出来上がった街を効率良く集約することは、一般的には極めて困難です。震災によって壊滅的な被害に遭い、国の大きな支援を受けて新たに街づくりをしていく被災地だからこそ、コンパクトシティ構想を実現できると言われています。
一方で、新しく作られる市街地以外の人にとっては、代々受け続いてきた土地を離れなくてはならない人が出てしまいます。また、大きな被害を受けた家屋と、高台で津波被害をまぬがれた家屋が、それぞれ存在するような集落では、新しい市街地に移れる人と移れない人が出てしまい、コミュニティが破壊されるケースもあるのです。
町長の進め方を批判する声
[写真]斎藤町長の町政運営は強引だと批判する山元町の遠藤龍之議員
いま山元町では、町長が発表した基本構想に基づいて、それぞれ個別の課題ごとに復興計画を進められています。ところが「町長の手法が強引だ」として、町議会が一斉に反発する事態となったのです。2013年12月には、議会で町長の問責決議が全会一致で可決。2014年4月の町長選挙では、町長を推す議員と対立候補を推す議員が真っ二つに割れ、斎藤氏が辛くも再選し、町長のコンパクトシティ構想が進められることになりました。しかし山元町の遠藤龍之議員は、選挙後は町議会の運営までも町長の独断専行が激しいと批判しています。
「町長は、町民との合意形成を図ろうとしないし、議員や職員との意思疎通にも欠けている。一昨年末の問責決議では全会一致だったが、選挙後の町議会は、町長に従う議員と従わない議員が7対6になった。それからは、誰が何を言おうと町長が強引に議決して、何も聞こうとしない」
こうした町長の強引な進め方は 、昨年の選挙では町長に一票を投じた町の人たちから批判が出ています。「町長が人の話を聞かな過ぎるから議会が割れるんだ。もう少し人の話を聞かないとダメだ」(50代男性)。
今年2月、斎藤町長は、仮設住宅について入居期間を一律に再延長しない方針を明らかにしました。来年夏に5年間の期限を迎える仮設住宅ですが、それまでに移転が適わない住民には1年間の「特例延長」を設けると説明するものの、仮設住宅の住民からは戸惑いの声も上がっています。『河北新報』(2月15日付)によると、斎藤町長は「被災者に自立を目指してもらう目的で取り組んでいる」と説明。「基本は自立だが、まだ難しい人も一定数いる。個々のケースを把握し、(対象外でも)それに応じた支援のありようを検討したい」と発言しています。
しかし町の調査に対して、無回答の世帯は特例延長の対象から外れます。個々に事情を抱えて自立再建の計画が明確に出来ない住民に対して、まずは仮設住宅から出ていくことを突きつけるやり方に反発が生まれているのです。
前述の遠藤議員は「我々が主張しているのは、町民が十分に納得できる話し合いが進んでいるのかということ」と言います。
例えば、2016年末にはすべて完成する予定になっている新しい3つの市街地で、宅地の分譲が決まったのは7割弱に留まっています。災害公営住宅への移転も、まだ全体の3割強。せっかく作られた新市街地でも、住民が集まらなければ地域経済が回らず、商業エリアが活性化されることはありません。「中心地になる『新山下駅周辺地区』は何とかなるかもしれない。しかし、あとの2つの新市街地は、本当に計画通りに人や店で賑わう町になるのか、まったく不透明だ」と遠藤議員は指摘します。
「復興を止めてはいけない」
[写真]仮設住宅から集団移転先に再建される自宅へ移転するのが待ち遠しいという上原イチ子さん
町民から戸惑いの声が聞こえるとはいえ、町長が再選したことからも分かるように、復興計画は概ね支持されています。
震災前には坂元駅近くにあった自宅が津波で流され、現在は仮設住宅で暮らす上原イチ子さん(82歳)は「いま町長が変わってしまったら、復興が止まってしまうでしょ。途中で変わるのはオカシイ」と言います。避難先を転々とした後に仮設住宅に入居しましたが、新市街地の集団移転先に造成される土地が今年6月ごろには引き渡される予定で、年内には自宅が再建できるそうです。
「やっぱり仮設住宅は窮屈。それでも慣れてきちゃったけど、やっぱり早く一戸建ての家に住みたい」
いま被災地では、建設現場の人出不足・資財不足が深刻で、上原さんの家を建てる工務店でも大工職人を確保するのが難しいそうです。さらに、移転先では震災以前の半分の土地しか分譲されません。庭や畑で野菜が作れなくなるのは残念と言う上原さん。それでも、ようやく自宅が新築できる目処が立ち、新居の出来上がりが待ち遠しい様子です。上原さんが震災前に住んでいた地域の人の多くが、同じ市街地に集団移転ができるので、それまでのコミュニティも継続されるので安心だと言います。
「今から人が減ってくばっかで、人が増えていくって事はないでしょ。人が少なくなるんだから、町がコンパクトになる方がいいでないかって思う。復興計画が無事に進んでいって欲しい」
「住民が納得できる復興を」
[写真]新市街地の造成・復興工事が進む一方で、それ以外の地域はまだ手つかずの状態。 中浜地区は、津波に呑まれた中浜小学校の校舎を震災遺構として保存し、その周辺 にメモリアル公園を建設して、防災教育やボランティアガイドの活動拠点とする 計画
こうして復興が着々と進む中、「新山下駅周辺地区」の造成地にあった農地の地権者であるKさんは、復興計画を強引に進めるやり方に納得できないと話します。Kさんは農地も自宅も津波被害に遭い、現在は仮設住宅で暮らしています。
Kさんは、「新山下駅周辺地区」など復興計画の対象地区のなかで約1.6ヘクタールの地権者ですが、すべてを拒否しているわけではありません。新しくJR常磐線の線路となる土地など、復興計画に欠かせない土地約1ヘクタールの売却には応じています。残ったのは、新山下駅となる周辺で、売却に応じなくても復興作業が遅れない土地の売却に限って拒否しているのです。
そんな折、宮城県の収用委員会は今年1月、町からの申請を受けて収用を認める裁決を下しました。今後、Kさんの土地は、強制的に収用される可能性ができてきたのです。
「農家の中には再開の目処すら立てられない人も多い。そんな中で、立派な田んぼを捨てさせて、米作りを再開させようという人間の権利を奪おうとしている。こんなやり方には納得できない」
計画完成まで迫るリミット
町の復興計画の完成は、2018年度末となっており、あと4年です。それまでに計画を1つにまとめなければなりません。復興は地域住民との十分な合意形成は必要不可欠です。強引なトップダウンと指摘される山元町のコンパクトシティ構想がどのように実現していくのか……。新しいまちづくりは全国的なテーマであるだけに、議論の行方が注目されます。
(渡部真/フリーランス編集者)
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3月14日に北陸新幹線が開業する。これまで東京~北陸の交通は、上越新幹線や東海道新幹線から特急を乗り継ぐ陸路と、羽田空港と小松空港や富山空港を結ぶ空路が激しい競争を繰り広げてきた。時間的な優位を保ってきた空路だが、北陸新幹線開業後は時間的にも運賃も陸路と拮抗することになる。航空各社は陸路に、どう対抗しようとしているのか? そして行政の対応は?
航空各社の対応は?
[写真]小松便の出発案内表示(撮影:三堀仁)
空港リムジンバスの利用料金と合わせて「鉄道と同等の価格を設定する」というのが日本航空だ。小松空港は、石川県小松市にある空港で、JR金沢駅まではバスで約40分かかる。同社の「特便割引」の割引率を変えることで、同等の価格を実現する。飛行機材を小さくするが、現在の6往復体制は守るという。
同社は、東京~北陸間の運賃だけを視野に入れているわけではない。小松空港から羽田空港を経由し、国内・国際線で各方面に乗り継ぐ旅客向けの「乗継割引率」を高くするなど手段を講じて、北陸新幹線に対抗する考えだ。
小松空港は、北陸新幹線が開通していない福井県に近いこともあり、同社広報は「金沢市や小松市周辺の人たちだけでなく、福井県の人にも利用してもらいたい」と周辺部の利用客を見込む。
全日空も日本航空と考え方は基本的に同じだ。「運賃体系は今後の動向を見ながら考える」としながらも、すでに値下げを表明しており、飛行機材は小さくするが6往復体制は維持する。また空路は、陸路と違って海外とつながっているところが強みとあって、同社は「北陸から海外へ、海外から北陸への需要を作っていく」と話す。
地方都市では自動車利用が不可欠
[表]北陸新幹線と航空料金の比較表
小松空港を抱える石川県では、行政として航空路線の維持のための方策を考えている。空港企画課によると、各地方空港で航空乗り継ぎの協議会をつくってPRすると同時に、駐車場料金に補助金を出す。「地元の人は、ほとんど車で空港に行く」(同課)ためだ。
同県が、小松空港の駐車場を管理する国土交通省の外郭団体に働きかけた。これまでは1日600円から800円だったものが、400円から500円になる。同課は「旅客のトータルの負担を減らしたい」と話す。
富山県の場合は、石川県よりも東京に近く、空港自体が富山市中心部から遠くないため、より新幹線に乗客の志向が向かっていく可能性がある。しかし、富山県が目を付けるのは、富山市内だけでなく、氷見や立山連峰といった同県内の観光資源への交通の便だ。
富山県は、東京から航空路線を使用して富山に来る観光客のために、小型のレンタカーと宿泊施設50%引きのクーポンを4月から6月まで配布する予定だ。7月から10月までは、レンタカー1台2,000円の割引をする。
確かに、単純に東京と北陸の往復だけを考えるなら、新幹線のほうが便利かもしれない。しかし、そこからさらに遠くへ向かうとなると、交通手段の多様化とパッケージが意味を持ってくるのかもしれない。
(ライター・小林拓矢)
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レイテ沖海戦で沈んだ戦艦「武蔵」
第二次世界大戦のレイテ沖海戦で沈没した戦艦「武蔵」の船体の様子が日本時間3月13日午前10時から生中継されます。マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が発見、調査しているプロジェクトで、中継では、海底に沈んでいる「武蔵」の様子を1時間以上にわたって無人探査機が撮影する予定です。同氏は、「船体に関してさらなる事実が判明した際には、日本政府および世界に対し、調査結果を共有していく」としています。
動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=qNMmqagTt90
※中継は上記リンクから
ポール・アレン氏とその調査チームは、8年以上前から、フィリピン政府の許可を得て戦艦「武蔵」を探索。最新機器を搭載したヨット「M/Yオクトパス号」を使い、地形を特定するために、海底の面積高度比や水深測量調査を行うことで、沈没地点を絞り込みました。調査は高解像度カメラ搭載の遠隔操作型無人探査機によって行われ、3回目の潜水で「武蔵」を探知、船体を確認したと言います。
今年3月2日の発見以来、同氏は、戦艦「武蔵」の艦橋やカタパルトのマニュアルと思われる文書などが見つかったとTwitterで報告してきました。この成果について同氏は「第二次世界大戦終結から70周年に当たり、同大戦で沈没した戦艦『武蔵』の船体を確認したことは、歴史的にも重要」と強調しています。
戦艦「武蔵」を発見したポール・アレン氏(ロイター/AFLO)
ポール・アレン氏は、ビル・ゲイツ氏と並ぶマイクロソフトの共同創業者で、資産家として名を知られています。父親は第二次世界大戦に従軍していたこともあり、同大戦の遺物保護に貢献してきました。1998年には、アメリカ・シアトルに歴史博物館「Flying Heritage Collection」を設立しています。
戦艦武蔵は、1942年に竣工。7万3000トンで戦艦「大和」と同型艦。45口径の主砲9門を備えていました。海軍史上最大の戦艦と言われています。1944年10月23日から25日にかけて開かれた、フィリピンのレイテ沖海戦において、約20発の魚雷と17発の爆弾を受け、24日に沈没しました。乗員2399人のうち、猪口敏平海軍中将を含むほぼ半数が死亡したと言われています。
動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=9qQDLfQpqdQ
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実力派お笑いコンビ「NON STYLE」。ツッコミ担当の井上裕介さんは、「よしもとブサイクランキング」を始めとする「負のランキング」も総なめにしているにもかかわらず、自信満々に「毎日が楽しすぎる」と言い切ります。日々をポジティヴに生きるためのメッセージをまとめた日めくり『まいにち、ポジティヴ!』(ヨシモトブックス/1,000円+税)を上梓した井上さんに、ポジティヴに働くためのコツを聞いてきました。
井上裕介(いのうえ ゆうすけ)
1980年3月1日、大阪生まれ。中学生の時に出会った相方、石田明と2000年5月にお笑いコンビ「NON STYLE」を結成。2008年「オートバックス M-1グランプリ2008」優勝など、数々のタイトルを獲得。2013年に初の著書『スーパーポジティヴシンキング~日本一嫌われている芸能人が毎日笑顔でいる理由~』を上梓
ポジティヴシンキングの源は?
――『まいにち、ポジティヴ!』やTwitterなどを拝見すると、井上さんが異常にポジティヴだということが伝わってきます。どうしてそんなに前向きでいられるんでしょうか?
「他人と比べない」ことです。人と比較するからストレスを感じますし、自分の能力のなさが嫌になる。僕より、ハッピーな人を見るから、僕は幸せじゃないんだと思ってしまう。他の人を軸にした幸せの基準ができてしまうんです。なので、僕はなるべく他人と比べる回数を少なくしようとしています。今の自分が楽しいか、「僕がハッピーなら、ハッピー」と考えることでポジティヴになれるんです。日めくりでも書いているように、「幸せランキング1位になる」ということが大切ですね。
――ポジティヴで良かったと思うことはありますか?
ポジティヴなツイートがきっかけで、ピンで番組に呼んでいただくことも増えました。そういう意味では良かったですね。
――Twitterなどで悪口を書かれて、落ち込んだり怒ったりすることはないのでしょうか?
一切無いです。Twitterって140文字じゃないですか。Twitterで僕に悪口を送るとすると、1分ぐらいかかるわけですよ。1度しかない人生の貴重な1分を、僕に時間を割いてくれているということが満足ですし、幸せ。僕は落ち込むタイプではないですし、相手がTwitterで僕に悪口を言って少しでもすっきりしてくれたらそれで幸せですね。
僕の悪口を言いたい人がいるなら言えばいいじゃない!!
それで、あなたが幸せになるのなら。
誰かの幸せのためなら、いくらでも悪く言われてみせよう。
そんな小さなこと気にしてられないくらい、人生を楽しみたいから。
僕はスーパーポジティブシンキングなんです!!
— 井上裕介 (@inoueyusuke) 2013, 8月 5
のっけからとにかくポジティヴな井上さん。相方の石田明さん(どちらかというとネガティヴ)からは、「俺にはできへんわー」と言われるのだそう。
――今回発売される日めくりは、そんな井上さんのポジティヴさが詰まったものだそうですね。オススメの言葉はありますか?
フレーズは基本的に自分で考えています。飲みながら「今いいこと言った」と思ったり、後輩に「名言出たじゃないですか!」と言われたらそれをメモしておく。日めくりタイプの名言集です(笑)。
気に入っているのは、20日の「立ち止まることを恐れるな」。自己啓発本では、「立ち止まるな」と書かれることが多いですが、止まることも大事です。止まるから、その先のルートを確認できる。後ろに下がるのは駄目だけど、振り返ることには意味があると思います。
東京に出てきた1年目が一番しんどかった
――M-1グランプリ優勝など、順調にキャリアを積んでいる印象がありますが…
全然立ち止まっていますよ! 僕らは元々ストリート漫才をしていたのですが、お客さんが2人だけだったこともありました。そこから大阪でレギュラーを任されるようになったのですが、今度は僕らがいた劇場が閉鎖されることになって、別の劇場に移るか、東京へ行くかということに…。
せっかく入った芸能界という世界ですし、やるからには日本で1番大きい街で勝負をしたいと。挑戦したかったんです。そうやって東京に出てきた1年目が一番しんどかったですね。仕事もお金もなくて。大阪ではレギュラーが9本ありましたから、それが一気に全部なくなるっていうのはね…。ゼロからのスタートは大変でした。
――大変な時期をどのようにして乗り越えたのでしょうか?
乗り切ったのは、支えてくれた先輩や仲間のおかげ。お金がなくて夜ご飯がたべられないときは、(レギュラーの)西川さんが毎日ごはんに連れて行ってくれたりとか。先輩にお世話になったということも、今の僕の大部分を占めていると思います。
素の自分を理解してもらうことの意義