[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
カダフィ(リビア)やムバラク(エジプト)といった独裁者たちが、長期にわたる腐敗と失政の報いを受けようとしている。権力の椅子にしがみつこうとする孤独な男たちには、様々な共通項が見出せるが、その権力を引き継がせようとする「息子」たちが何の資質も持ち合わせていない放蕩息子ばかりだという共通点は興味深い。落合信彦氏が解説する。
* * *
カダフィの放蕩息子たちの見るに堪えない振る舞いは、独裁者の息子としては、決して例外的なものではない。
私がまず思い出すのは、冷戦下の東欧で秘密警察「セキュアリターテ」を使って国民生活を逐一監視し、飢餓に苦しむ一般市民を差し置いて自分と家族にだけは豪奢な生活を許していたルーマニアの独裁者ニコライ・チャウシェスクとその息子のことである。
1989年12月24日に起きたルーマニア革命により、チャウシェスク夫妻は銃殺処刑された。私が首都・ブカレストに取材に入ったのはその直後のことだったが、市内の光景は異様だった。
日々のパンも手に入れられないような国民が暮らしているというのに、中心部にはチャウシェスクが建設させていた地上10階建て、3000以上の部屋を誇る宮殿がそびえ立つ。その正面の通りは、チャウシェスクが出した「パリの大通りよりも広い通りを!」という指示に基づき、シャンゼリゼ通りよりも1m広い幅で作られた。地下道は戦車も通れる。
財政破綻寸前だったルーマニアで、この道を真っ赤なフェラーリで疾走していた男がいた。それが、チャウシェスクの次男・ニクであった。
ニクが車を乗り回す時はセキュリティが張り付き、大通りには10mおきに警察官が配備された。一般市民の生活水準など無視したチャウシェスク一族の象徴であったと言えよう。
ニクは、未成年のうちから酒を飲んではお気に入りの車を運転し、あげくに交通事故を起こし、またある時はレイプなどの犯罪行為に走っていたという。
もちろん、彼が罪を問われることなどない。「俺を一体、誰だと思っているんだ」その一言で、ルーマニアの全ての警察官は独裁者の息子にひれ伏すのである。
そんな男でも、父親の威光があれば、国や党の要職が与えられる。32歳の若さでルーマニア共産党中央委員に選出された。これでは本人が行ないを改めるはずはない。
そんなニクの毒牙にかかり、人生を狂わされた女性がいる。
1976年のモントリオール五輪の体操で史上初めて10点満点を叩き出し、金メダルを獲得した「ルーマニアの白い妖精」ことナディア・コマネチであった。…
【ロンドン時事】英日曜紙オブザーバーなどが22日報じたところによると、スーダン系英国人の医学部生と卒業生計9人が今月12日にトルコへ渡航した後行方不明になっており、シリアで過激派組織「イスラム国」のために医師として働いているのではないかとの懸念が強まっている。
いずれも英国生まれの10代から20代の男性5人、女性4人で、スーダンの首都ハルツームの大学で医学を学んでいた。スーダンに留学したのは、イスラム文化と自らのルーツを学ぶよう家族が望んだためという。
9人はハルツームからトルコのイスタンブール入りし、バスでシリア国境に向かったとみられる。家族も医学生らを連れ戻すためトルコで懸命の努力を続けているという。
英内務省は、医学生らがシリアから戻っても、戦闘に加わっていないことが証明されれば必ずしも処罰されることはないと説明している。
【チュニス時事】日本人3人が死亡したチュニジアの観光客襲撃事件で、中根一幸外務政務官が22日、テロリストによる銃撃の現場となった首都チュニスの国立バルドー博物館を訪れ、花をささげて犠牲者の冥福を祈った。
現場では館長が具体的な場所を指さしながら、一連の襲撃がどのように行われたかを中根政務官に説明。視察後、政務官は記者団に「非道なテロに強い憤りを感じた。私たちはテロに屈しない」と強調した。
【モスクワ時事】ロシアのプシコフ下院外交委員長は22日、自身のツイッターで「ロシアによる(ウクライナ南部)クリミア半島編入は、英国によるフォークランド(アルゼンチン名マルビナス)諸島領有よりも十分根拠がある」と主張した。
ハモンド英外相は先に、クリミア編入1年に際してロシアにウクライナへの返還を要求。プシコフ委員長はこれに反論した。ロシアのラブロフ外相も昨年3月、ケリー米国務長官と会談した際、フォークランド諸島と絡めて欧米の批判をけん制した。
【チュニス秋山信一、宮川裕章】チュニジア内務省のナンバー2、ラフィク・シェリー次官が21日、毎日新聞の取材に応じ、博物館襲撃事件の実行犯2人がイスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)と関連がある小規模な過激派グループのメンバーだったことを明らかにした。治安当局はISが組織的に関与した疑いもあるとみて調べている。
シェリー次官によると、実行犯2人のほか、グループの指導者ら16人を逮捕。うち1人がシリアでISに参加した経験があるという。このグループはイスラム過激派組織「アンサール・シャリア」の元メンバーを中心に約20人で構成され、博物館から約2キロ離れた地区のモスク(イスラム礼拝所)などを拠点に活動。このモスクに出入りしていた者の中で、逮捕されたメンバー以外にも5人がシリアやイラクに渡航し、ISなど過激派勢力に加わった。
また、観光客らを銃撃したヤシン・ラアビディ、ハテム・ハシュナウィ両容疑者のうちのどちらかが、過去にISが活動するイラクで過激派に加わっていたとの情報もあり、治安当局は裏付けを進めている。
またラアビディ容疑者は1〜2年前、テロ活動に関与した疑いで治安当局に一時拘束されていた。しかし犯罪行為が確認できなかったため、訴追されずに釈放された。治安当局はその後もラアビディ容疑者らのグループの動向を追っていたが、襲撃事件前に摘発に踏みきる証拠はなかったという。治安当局は、このグループが市民に紛れて秘密裏に活動する「スリーパー・セル(休眠細胞)」の一つだとみている。