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遺伝子解析、東南アジアの災害、大学の将来像――。広島市の広島国際会議場で14日開かれた京都大附置(ふち)研究所・センターのシンポジウム「京都からの提言~21世紀の日本を考える」(読売新聞社など後援)では、第一線の研究者らが多彩な分野で最新の知識や考え方を披露し、詰めかけた市民らは大いに刺激を受けていた。
「自由の学風を重んじる教育・研究活動から生み出された提言に耳を傾けてほしい」。シンポジウムは京都大の山極寿一(やまぎわじゅいち)学長のあいさつで開幕し、同大学の研究者4人が登壇した。
このうち、動物遺伝学を専攻する野生動物研究センターの村山美穂教授は、遺伝子解析を用いれば、動物のふんや血液などからでも性別や性格の違いなどがわかると説明。この技術は種の保存や繁殖に活用できるとした上で「野生生物では遺伝子情報がまだ足りない。もっと蓄積しないといけない」と課題を指摘した。
東南アジア研究所の清水展(ひろむ)教授は1991年にフィリピンのピナツボ山で起きた噴火によって住まいを失った先住民アエタに生じた変化を紹介。国際NGOなどとの出会いを通じ、閉鎖的だったアエタの意識が変わったとし「災害は新しい社会を作るきっかけになる。災害後、どう立ち直るかが大切だ」と強調した。
地元の広島大からは高等教育研究開発センターの大場淳・准教授が登壇し、大学のあり方を歴史的側面から考察。大学間の格差拡大や人口減少などの課題に対応する必要があると語り、大学の未来について「大学任せにせず、学生の皆さんも一緒に考えてほしい」と呼びかけた。
広島県廿日市市の小学校非常勤講師、岩田圭子さん(56)は清水教授の話が印象に残ったといい、「広島も土砂災害に見舞われ、今は復興半ば。希望をもらえた」と話した。
広島市西区の主婦、佐藤博子さん(67)は「分野の異なる研究者の話を聞けて勉強になった。関心の幅が広がり、収穫がたくさんありました」と笑顔だった。
広島女学院大2年、松田麻奈さん(27)は「研究が社会にどう貢献できるかを、研究者がしっかり考えている姿に感動した。目指している管理栄養士の仕事でも、その真剣さを見習いたい」と話した。
国が決定した基本計画から43年――。北陸新幹線が営業運転を始めた14日、JR金沢駅で行われた出発式では、この日を待っていた県民ら5000人近くが、一番列車「かがやき500号」の出発を見送った。金沢駅周辺や各観光地では、お祭りムードの中、伝統芸能の披露や地酒の振る舞いなどで、訪れた観光客をもてなした。
新幹線改札口前で午前5時に始まった開業式典で、JR西日本の真鍋精志社長は「長い年月を経て開業を迎えて感慨深い。より多くの方が訪れ、北陸との交流が広がることを期待する」とあいさつした。
式典に出席した谷本知事は「石川にとって100年に一度の節目を迎えた。開業効果を持続、発展させ、県内各地、各分野に行き渡らせたい」と意気込んだ。金沢市の山野之義市長は、「もう1回来たい、友達を連れて来よう、住んでみたいと思われる町をつくっていく」と誓った。太田国土交通相は「首都圏と北陸が近づいた。石川の魅力が高まり、多くの観光客を呼び込むことを期待する」と祝辞を述べた。
駅には一番列車の乗客や鉄道ファンらが次々と押し寄せると、自動改札機が詰まるトラブルも起きたが、備えた駅員たちが速やかに対応した。
11番ホームでは、東京行きの一番列車「かがやき500号」の乗客らが、和服姿の県内のミスたちと記念撮影をしたり、「W7系」をイメージした服を来て乗車したりと、祝賀ムードを盛り上げた。午前5時50分頃には先頭車両の横で、関係者がテープカットとくす玉割りで祝った。一番列車の発車を見送ろうと、約5000人が集まり、発車時に列車を写真に収めようという鉄道ファンらで混雑。駅員が「危ないので下がってください」とアナウンスするなど、安全確認も重ねた。
その後、辻昭夫駅長と女優土屋太鳳さんの合図で、定刻よりも1分遅れの午前6時1分、一番列車は多くの人々の夢、希望、未来も乗せて出発した。
◇国交省など9機関が合同訓練
南海トラフ巨大地震を想定し、被災車両の移動や、破損した道路の復旧、人命救助などの合同災害訓練が13日、高知市内で行われた。国土交通省土佐国道事務所や市消防局、県警など9機関約110人が参加し、緊急時の連携方法を確認した。
昨年11月、改正災害対策基本法が施行され、大規模災害で道路に放置されたり大雪で立ち往生したりした車両を、国交省や都道府県などの道路管理者が強制撤去できるようになったことを受けて実施した。
国道32号付近が津波の被害を受け、倒壊した家のガレキや被災車両が道をふさぎ、車両の通行が困難になったと想定。県警のヘリコプターやパトカーが現場の情報収集を行い、関係機関に連絡した。
動かなくなった車両が路上をふさぎ、車内に負傷者が閉じこめられたとする訓練では、市東消防署員や県警機動隊員が「もう少しの辛抱やきね」「すぐ助けるから待っててくださいね」などと声をかけながら車の窓を壊し、負傷者を救助。車両は、重機を使って道の端に移動した。
亀裂が入ったり段差ができたりした路面は、陸上自衛隊員や国道事務所の職員らが土のうを積み上げて修復。レスキュー車やパトカーが通れるように、幅約4メートルの道を確保した。
同事務所の横地和彦事務所長は「正確な情報を集め、それぞれの機関がしっかりと役目を果たすことが大切。訓練を生かし、少しでも素早く、円滑に連携できるようにしていきたい」と話し、「災害時に車から逃げる場合には、できるだけ道路の脇によけてとめてください」と呼びかけた。
根室市の花咲港で流氷が大量に接岸し、船舶が出入りできない状態になっている。13日には、市から要請を受けた根室海上保安部が砕氷型巡視船「てしお」を派遣して航路の確保を試みたが失敗。毛ガニやスケトウダラ漁の最盛期を迎える中、多数の漁船がとじこめられており、今週に入って水揚げ、競りともに一度もない状況が続いている。
根室海保などによると、流氷が南風に吹かれて花咲港に接岸したのは7~8日にかけて。13日午後には「てしお」が港内を航行して流氷を砕いたが、氷が多い上、砕いてもすぐにくっついて航路が閉じてしまうため、約30分で作業を断念した。
根室市では冬の間、根室港が流氷で閉ざされるため、「不凍港」の花咲港で主に水揚げや競りが行われている。根室海保や地元漁師らによると、2013年3月にも同港に流氷が接岸したが、今回ほど長期間になるのは珍しいという。
流氷は風向きによって移動し、花咲港では北風が吹くと離岸しやすいとされる。船舶の出入りができるようになるには“北風待ち”をするしかない状況で、市内のスーパーでは冬の鍋に欠かせない地場のスケトウダラの白子が店頭から消えるなど影響が出ている。
岸壁で「てしお」の作業を見守っていた漁師(48)は「もう4日も漁に出られず、死活問題だ。一刻も早く、流氷がなくなってほしい」と話していた。
東日本大震災の被災地の宮城県名取市で16日、西宮市のグループが出演する復興コンサートが開かれる。グループには阪神大震災を経験した人も多く、東日本の被災者とともに復興への思いを歌声で届ける。関係者は「経験者同士で心を通わせ、心が豊かになる一時を過ごしたい」と練習に励んでいる。(河部啓介)
県内から出演するのは、西宮市で旧文部省唱歌を学ぶ「唱歌の学校」心のうた合唱団の50~80歳代のメンバー約30人。
同グループは元大阪フィルハーモニー交響楽団補助指揮者の泉庄右衛門さん(73)と、妻で声楽家の規子さん(57)が阪神大震災後の1996年に開校。自らも被災した泉さんが、西宮市の規子さんの実家倉庫跡にスタジオを作り、震災で傷ついた人たちの心を歌の力で癒やしてきた。今回、時間がたった今だからこそ心の支援が必要だとして、別の団体に働きかけて実現した。
コンサートは、名取市文化会館中ホールで開催。同グループが「早春賦」など、宮城県岩沼市で震災直後の5月に結成した合唱団「岩沼童謡クラブ」が「春がきた」などで歌声を響かせる。その後、家族を津波で亡くした地元の被災者らがピアノの伴奏で「うぐいす」「私のカモメ」を披露。フィナーレは「ふるさと」「上を向いて歩こう」などを全員で歌う。
同グループのメンバーで、西宮市の自宅内が壊れるなどした野田佳子さん(83)は「歌っている時だけでも楽しい思いに浸ってもらえたら」と願う。また、被災後、出向先の会社で住宅相談に奔走した宝塚市の桜井寿郎さん(80)は「震災4年後の自分がどうだったかを思い起こしながら、頑張ってほしいとの思いを伝えたい」と力を込める。
メンバーは震災で被害を受けた場所も見て回る予定。大阪府吹田市の田中照子さん(77)は阪神大震災時、芦屋市の友人からかけられた「被災地に足を運び、見ていてほしい」という言葉が忘れられないといい、「東北のことも忘れず見守り続けたい」と言う。
泉さんは「音楽の楽しさを精いっぱい伝え、みなさんが明るい表情を見せてくれれば」と話している。