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植物の茎が真っすぐ伸びるために必要な遺伝子を発見したと、京都大大学院理学研究科の西村いくこ教授らの研究グループが23日、発表した。論文は英科学誌ネイチャー・プランツ電子版に掲載された。
植物は日当たりなど環境の変化に応じ、茎を曲げて生育に有利な形に成長する。通常は真っすぐな形を維持し、曲がった後も元に戻る仕組みは解明されていなかった。
研究グループは、茎の細胞内にあるタンパク質でできた「ミオシン」という遺伝子に着目。遺伝子操作でミオシンを壊したシロイヌナズナの茎は、真っすぐに成長できず、光などの刺激に対し過剰に曲がることが確認できたという。
[ブリュッセル 23日 ロイター] – 欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁は23日、欧州議会で行った証言で、ECBが実施している量的緩和(QE)策の恩恵はギリシャにも及び、同国の国債および同国が保証する証券を担保として認める特例措置をいつかは復活させられるとの慎重ながらも楽観的な見通しを示した。
ドラギ総裁は議会証言で、「いくつかの条件が満たされる必要がある」としながらも、「いつかの時点でECBはギリシャに対する特例措置を復活させることができる」と述べた。ただ、「ギリシャ政府は、すべての債権者に対する債務義務の完全な履行をコミットする必要がある」とクギを刺した。
ドラギ総裁によると、ECBのギリシャに対するエクスポージャーは1040億ユーロ(1130億ドル)。
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[ニューヨーク 23日 ロイター] – フィッシャー米連邦準備理事会(FRB)副議長は23日、FRBが年内に利上げに踏み切ることは広く予想されているとした上で、政策当局者らは毎回の会合でその後の政策判断を下していくとの見方を示した。
副議長は、エコノミック・クラブでの講演用原稿で、経済活動に著しい進展が見受けられるほか、労働市場は完全雇用に近づいていると指摘。ただし為替市場でのドル高は金融緩和の効果をある程度相殺する可能性もあると述べた。
その上で「年内に利上げが行われることは広く予想されている。(利上げは)年末前の実施が正当化される公算が大きく、利上げに伴い見込まれる効果がコストを上回った時に実施されるべき」とした。
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[ニューヨーク 23日 ロイター] – フィッシャー米連邦準備理事会(FRB)副議長は23日、FRBが年内に利上げに踏み切ることは広く予想されているとした上で、政策当局者らは毎回の会合でその後の政策判断を下していくとの見方を示した。
副議長は、エコノミック・クラブでの講演用原稿で、経済活動に著しい進展が見受けられるほか、労働市場は完全雇用に近づいていると指摘。ただし為替市場でのドル高は金融緩和の効果をある程度相殺する可能性もあると述べた。
その上で「年内に利上げが行われることは広く予想されている。(利上げは)年末前の実施が正当化される公算が大きく、利上げに伴い見込まれる効果がコストを上回った時に実施されるべき」とした。
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オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から3月20日で20年。事件の2日後には、山梨・旧上九一色村の教団施設へ強制捜査が入り、約2か月後、教祖・麻原彰晃(松本智津夫・現死刑囚)が逮捕された。現在、麻原ら幹部13人の死刑と5人の無期懲役が確定。裁判によって、東大を筆頭とした高学歴の教団幹部たちが、麻原の洗脳によって凶行へと突き進んだ過程が明らかになった。
強制捜査初日には2500人以上が動員されるなど、日本の公安・警察が全力で戦いを挑んだ歴史的事件。『極秘捜査』の著書がある作家・麻生幾氏が、知られざる捜査の内幕を明かした。
* * *
20年の月日が、これまで語ることを許されなかった記憶を溶かしてゆく。それは例えば、警察vsオウムの戦いもそうだ。語り尽くされた感がある言葉だが、20年前の、あの時の“壮絶”さは未だに多くのことが語られていない。
3月20日の夜。地下鉄サリン事件発生の夜。東京・霞が関の警察庁。壮絶な思いで集まった幹部たちが、2日後に予定されている史上最大の強制捜査の最終確認を急いでいた。
その頃、都内のある場所で、公安警察官と協力者(モニター)との接線(セッセン)が密かにもたれた。オウム真理教の中枢に位置する男は、これまで繰り返してきた〈供述〉を口にした。
「昨年(1994年)6月、土谷正美(現死刑囚)の実験棟でサリンを生成。一部を松本サリン事件で使用し、製造プラントは破壊した。しかし、その時生成したサリンは残っており、隠匿されている」
警察庁首脳部は、この〈供述〉を最もレベルの高い秘密に指定。〈供述〉はもとより、男の存在ですら、警察庁の数人の最高幹部しか知らされていなかった。
たった一人のモニターの〈供述〉は、警察庁の“オウムとの戦い”の極秘の基本方針となっていた。オウムは強制捜査後も、隠匿されたサリンを使い、数百台のサリン攻撃車両を都内に走らせ、空からはラジコンヘリによってサリン攻撃を行う──その前提に立ってすべての作戦を策定していった。強制捜査の約一ヶ月前から始まったオウム内部の協力者獲得の作業は壮絶だった。半年後には、麻原彰晃逮捕後の組織内部の権力闘争さえ把握した。
冒頭の会議と同じ時間、警察庁から車で5分もかからない築地警察署。そこでの光景も語られざる記憶だ。
地下鉄サリン事件の特別捜査本部が立ち上がり、数百名にも及ぶ捜査員が熱気渦巻く講堂に参集していた。…