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さよなら、トワイライトエクスプレス――。走るホテルと呼ばれ、人気を集めたJRの寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)札幌行きのラストランを見届けようと、金沢駅には12日午後、鉄道ファンら約400人が詰めかけた。ホームは拍手や歓声に包まれ、名列車の26年の活躍をねぎらった。
10、11日は、天候不良で運休。この日も日本海側は荒れ模様だったが、天候が回復して運行が決まった。
大阪駅を12日午前に出発した列車は、午後3時37分頃、金沢駅の7番線ホームに到着。ファンらは最後の雄姿を撮影しようと、カメラを構えていた。3分後に金沢駅を出発すると、「これまでありがとう、さよなら」などの声を掛けて、別れを惜しみながら見送った。
友人と見送りにきた金沢市若宮、主婦山本済子さん(77)は、「昨年4月に札幌から金沢まで乗った。『夕暮れ』の列車名の通り、トンネルを抜けた後にフワッと広がったきれいなオレンジ色の景色が忘れられない。楽しい北海道旅行の思い出までよみがえった」としみじみと語った。
金沢市泉本町の園児、亀原奏(かなで)ちゃん(4)は、トワイライトエクスプレスがデザインされた靴下を手にはめて手を振った。休みの日は毎回のように見に来る鉄道好きの男の子で、「列車の中で寝ることができるなんてすごい。なくなるのは寂しいけれど、別の寝台列車に乗りたい」と話した。
家族4人で訪れた富山県小矢部市の主婦山本佳代さん(36)は「週1度、子どもと一緒に列車へ手を振るのが日課になっていた。運転士さんが汽笛を鳴らしてくれるとうれしかった。もう聞けないと思うと寂しい」と振り返った。
トワイライトエクスプレスは、1989年に運行開始。片道約1500キロの運行距離は日本一長く、車窓からの眺めを楽しめるサロンカーや、フランス料理などを楽しめる食堂車が人気を集めたが、機関車や客車の老朽化などを理由に廃止が決まった。2010年の「北陸」(金沢―上野)、12年の「日本海」(大阪―青森)に続いて、金沢駅に停車する寝台特急は、姿を消すことになる。トワイライトエクスプレスの名称は、17年にJR西日本が瀬戸内や山陰で導入する新型の寝台列車に、「トワイライトエクスプレス 瑞風(みずかぜ)」として受け継がれる。
大阪行きの最終列車は、13日午前8時49分頃に金沢駅に到着し、同51分頃に発車する予定。
豊田市の市立中山小学校の男性教諭(42)が、6年の男子児童(12)を投げ飛ばして背中の骨を骨折させた問題で、同校は11日夜、臨時保護者会を開き、清水篤実校長が集まった約300人の保護者に謝罪した。
非公開の保護者会では、学校側は今後、体罰は絶対に行わないと説明。教諭が投げ飛ばした際、体育館には、4~6年生のバスケット部員約80人が集まっていた。ショックを受けた児童もいることから、必要に応じてスクールカウンセラーらが児童の相談などを受けるとした。
一方、市教委は12日、教諭を学校内の混乱を避けるためとして自宅待機とした。教諭は市教委や同校に対して「児童があいさつをしないなど怠けた態度を指導するつもりだったが、結果的にやってはならないことをしてしまった」と述べたという。
◇ユネスコ登録目指す
越前和紙の手すき事業者らが12日、技術を継承するために保存会を設立することで合意した。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になった「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」への追加登録を目指す。27日に設立総会を開く。
昨年11月までに無形文化遺産に登録された和紙は、石州半紙(せきしゅうばんし)(島根県浜田市)、本美濃紙(ほんみのし)(岐阜県美濃市)、細川紙(埼玉県小川町、東秩父村)の三つ。越前和紙は重要無形文化財の技術を個人で保持する「人間国宝」はいるが、技術を保持する団体がなく、文化庁や県と協議しながら保存会の設立準備をしてきた。
この日、越前市内で開いた会合で、県和紙工業協同組合の石川浩理事長は「末永く伝承し、技術の向上と保存を図りたい」と述べた。今後、オランダの画家・レンブラントが版画作品に使った可能性の高い、雁皮(がんぴ)を原料とした最高級和紙「鳥の子」の技術継承の活動を進める。
◇ボランティア案内で計6回
大坂夏の陣(1615年)から400年を迎え、南泉州地域の合戦跡などを地元の観光ボランティアの案内で巡るイベントが15日、岬町で始まる。10月まで計6回あり、地域の伝承や歴史のこぼれ話などを紹介。主催者は「南泉州の今と昔を体感してほしい」と参加を呼び掛けている。(桑田睦子)
貝塚市以南の各団体でつくる「南泉州観光ボランティア連絡協議会」が企画した。初回の岬町では、「信長の紀州攻めの道」がテーマ。案内マップを準備し、大坂城の落城後、流浪の末、この地域で農民になった武士の墓など6・8キロを、約2時間半かけて歩く。
最大の見どころは、1582年、村人が織田信長の三男・信孝の軍勢と戦った「灰賦(はいぶ)峠」だ。和歌山に逃れた石山本願寺の門主・顕如を守ろうと、村人総出で、かまどから持ち出した灰をまいて1000騎の織田軍の目潰しをし、小石を投げて抵抗した。その後、本能寺の変で信長の死を伝えられた軍勢は撤退。灰をまいて織田軍を撃退したことから、その名が付いたという。
ガイドを務める岩田史子さん(64)は「もし信長自身がこの地に侵攻していれば本能寺の変は起きずに、歴史が変わっていたかもしれない。そんな歴史の奥深さも伝えたい」と話す。岬町観光ボランティア協会の竹内邦博会長(70)は「町内には古墳や美しい山、海がある。リレーウォークで町の新たな魅力も発見してもらい、観光客が増えれば」と期待する。
このほかのテーマは、大坂夏の陣お菊の嫁入りの道(4月19日、阪南市)▽紀州浅野軍の進攻ルートを歩く(5月24日、泉南市)▽大坂夏の陣の緒戦となった樫井合戦の戦いをたどる(6月21日、泉佐野市・田尻町)▽僧兵「根来衆」のとりで跡などを訪ねる秀吉の紀州攻め(9月20日、貝塚市)▽戦いの道・祈りの道熊取の古道から(10月18日、熊取町)。
いずれも参加費300円で、先着100人(初回は締め切った)。電話などで主催団体か各市町に申し込む。問い合わせは、泉佐野観光ボランティア協会(072・458・3901、午前10時~午後4時)へ。
◇太地の博物館 あすから公開
太地町立くじらの博物館は、昨年11月に同町沖で捕獲された白いハナゴンドウ2頭(いずれも雄)を、ホワイトデーの14日から一般公開する。
頭の周りに黒いぶち模様がある1頭は、推定年齢2歳で体長2・4メートル、重さ180キロ。全身のほとんどが白い1頭は、推定4歳で2・6メートル、240キロ。いずれも色素の減少で皮膚が白化する「白変種」とみられる。
いけす(12メートル四方、深さ3メートル)の環境に慣れさせるため公開してこなかったが、徐々に飼育員にもなつき、今では餌をねだって体を伸ばし、水上に顔を出すまでに。イカを1日15キロ分食べ、健康状態も良好という。
同館では、突然変異の「アルビノ」で全身が白いバンドウイルカ「スピカ」も飼育しており、「白変種」と「アルビノ」の違いをパネルで説明する。同館の稲森大樹学芸員は「正常なハナゴンドウも同じいけすで泳がせるので、違いに興味を持ってもらえるのでは」と話している。