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◇大和郡山 「大仏グラブ」製作へ
東日本大震災の被災者の願いをかなえたいと、大和郡山市で野球グラブを製造販売している梅原伸宏さん(50)が11日、巨大な大仏グラブを年末に奈良市の東大寺に奉納する計画を発表した。グラブを縫い上げる作業には、福島、宮城、岩手3県の小中学生約3000人が参加するという。
この日、梅原さんが委員長を務める東大寺大仏グラブ奉納実行委員会が、大和郡山市のやまと郡山城ホールで、壁紙を切って貼り合わせた実物大の型紙を披露。3・6メートルある大仏グラブの大きさは、大仏殿の本尊・盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)の右手(2・56メートル)に合わせた。梅原さんは「大仏さまの右手は無限大の宇宙を表現しているという。必ず夢はかなうという意味があり、東北の子どもたちと夢のキャッチボールをしたい」と話した。
4月に本格的な製作を開始。東北3県の被災者や地元住民の願いなどを書いた用紙をペットボトル700本に入れグラブの中に詰める。梅原さんは3県の自治体の協力やインターネットを使い、「100万人分の願いを集める」と意気込んでいる。製作には牛16頭分、32枚の牛革が必要。8月下旬に被災地を巡り、一針ずつ縫ってもらい完成させる。
12月26日に東大寺で行われる奉納式には、被災地の子どもたちも招待する。
岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」や津波で生じた流木などをバイオリンに生まれ変わらせた「津波バイオリン」の県内初の演奏会が11日、岐阜市藪田南のサラマンカホールで開かれた。英国のフィルハーモニア管弦楽団のエイドリアン・ヴァレラさんが奏でる津波バイオリンの音色に、約250人の観客は追悼と復興への思いを込めた。(八木さゆり)
津波バイオリンは、世界的なバイオリン製作、修復者として知られる中沢宗幸さんが製作した。バイオリンの表と裏の板をつなぎ振動を伝える「魂柱」に、奇跡の一本松を使い、その他の部分にはがれきの山から柱や流木などを拾い、木の命をバイオリンによみがえらせた。
このバイオリンを通じて震災の記憶を風化させまいと、1000人の奏者がリレーするように演奏する「千の音色でつなぐ絆」プロジェクトの一環。津波バイオリンを初演奏したヴァレラさんは、所属する楽団の日本ツアー終了後、震災に合わせて演奏したいという思いから、この演奏会が実現した。
プログラムの最初は、カルミナ・ブラーナから「おお、運命の女神よ」。壮大な合唱曲をソロ演奏に編曲したヴァレラさんは「運命という車輪は、一人一人が引くことによって大きな輪になる」と話し、続くビバルディの「春」には「日本の助け合いという素晴らしい精神で、がれきとなった街に芽が出るよう思いを込めた」と語った。
演奏会に先立ち、ホール内での地震発生を想定した避難訓練が行われ、出入り口の避難誘導灯を確認して、観客と職員がホール外に避難した。早川敦朗・岐阜南消防署長は総評で「震災が起きた際は落ち着いて慌てずに、自分の身の安全、火の始末、避難路の確保をするよう行動をパターン化しましょう」と呼びかけた。
東日本大震災の被災者支援を続けている舞鶴市出身の民間活動団体(NGO)職員で、理学療法士の大室和也さん(31)は、同市のギャラリーサンムーンで活動報告会を開いた。震災から4年が経過しても苦しみが癒えない仮設住宅に住む被災者の実態を説明し、地震発生時刻には来場者約50人とともに黙とうした。
同ギャラリーで開催されている府北部の陶芸家や画家らによる復興支援チャリティー展(13日まで)の一環で行われた。
大室さんは、東京のNGO職員となった2013年から月1回、被災地に出かけ、仮設住宅のお年寄りらをマッサージしながら、悩みなどを聞いてきたという。
この日、大室さんは津波で行方不明となった夫が見つからず、仮設住宅から転居する気になれない女性や、「原発事故で子供も孫も寄りつかなくなった」と嘆く女性らを紹介。「震災の教訓を生かし、災害に備えてほしい」と結んだ。
夫が福島県出身という女性(85)は「被災地を忘れないことが大事だと思う」と語った。
大相撲春場所(大阪府立体育会館)4日目の11日、西前頭5枚目の遠藤(穴水町出身、追手風部屋)は、西前頭3枚目の碧山を押し出しで破り、3勝1敗とした。
遠藤は立ち合いでいなすと、相手の勢いを利用して、そのまま押し出した。5日目の12日は、東前頭8枚目の松鳳山(今場所0勝4敗)と対戦する。
東十両2枚目の輝(七尾市出身、高田川部屋)は、東十両4枚目の青狼に外掛けで敗れ、1勝3敗となった。
足を伸ばして座る大阪・新世界の幸運の神様「ビリケンさん」を立ち上がらせた像を制作し、東日本大震災の被災地などに届けている洋画家、稲岡博さん(65)(舞鶴市余部下)は、この日から、自宅で約40体(高さ10~80センチ)の像の公開を始めた。拳を突き上げたり、まわしを締めたりと様々な姿の像があり、稲岡さんは「見た人に希望を分けたい」と話している。
震災当日、舞鶴市内の友人宅でテレビに映る惨状を見ていた時だった。「こんな時に座ってて、どないすんねん。日本のために立ち上がってくれ」。友人が布製のビリケン像に向かって発した言葉で、稲岡さんは「立ちビリケン像」の制作を思いついた。
彫刻の経験はなかったが、紙粘土でかたどって金箔(きんぱく)や金色の塗料を塗り、これまで約120体の像を手がけた。このうち約70体を被災地の幼稚園や自治体などのほかに、近畿、中国地方の町おこし団体や商店街、要望のあった個人らに寄贈し、「希望を持てるようになった」と感謝されたという。
震災から4年がたち、舞鶴で震災への関心が薄らいでいるように感じ、手元に置いている像の公開を決意。自宅には、ほほ笑んだり、天を仰いだりしているビリケン像が並べられている。稲岡さんは「震災を忘れないために作っている。ライフワークとして続けたい」と力を込める。
公開は15日までの午前10時~午後4時。無料。問い合わせは、稲岡さん(090・5134・9849)。