[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
終戦70周年を迎える今年、まさかの大発見である。
3月4日、『大和』型の超ド級戦艦の2番艦だった『武蔵』(全長263メートル、排水量6万5000トン)が、海中から見つかったというニュースが世界中を駆け巡ったのだ。
「1944年10月、レイテ沖海戦で沈没した武蔵の行方は、これまで何も手がかりもなく、どこへ消えたのかわからずじまいでした。しかし今回、米国マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏の調査により、フィリピンのシブヤン海海底で発見されたんです」(通信社記者)
アレン氏のホームページで、海底に沈む武蔵を映した映像が公開されると、各国のメディアは「武蔵発見」を大きく報道。同時に、武蔵の戦艦としての能力――着工した1938年当時の、日本の技術力にも耳目が集まっているのだ。
軍事ライターが言う。
「武蔵は、アメリカ軍艦載機の集中攻撃によって沈没しましたが、その米軍パイロットたちが、”こんなに爆弾や魚雷を命中させたのに、まだ沈まない。なんてタフな船だ”と、驚嘆したという逸話が残っています」
雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という猛攻撃なら、並の戦艦でいえば4隻は沈められる。それを耐え続けた”怪物戦艦”に米軍も度肝を抜かれたのだ。
「日本海軍が”不沈戦艦”と自慢した武蔵は、当時としては世界最強の戦艦。より大きな戦艦に、より大きな艦載砲を搭載すれば、来るべき艦隊決戦に負けるわけがない、という大艦巨砲主義により生まれた”史上最大の兵器”です」(同ライター)
のみならず、
「当時、46センチ主砲を搭載する戦艦は、他のどの国も作れませんでした。艦載砲が大きくなれば、当然、発射時の反動は大きくなります。武蔵には、46センチ砲9門斉射の反動を受け止める画期的な技術が備わっていたといえます」(同)
さらに、同程度の戦艦から艦載砲の直撃を受けても耐えられるだけの装甲を持っていたというのだ。
「大和型戦艦が導入した新技術は、他にもたくさんあります。まず、艦体構造に甲鉄(装甲部分に使う強靭な鋼板)を、装甲部分には新開発のVH鋼鈑を、鋼鈑の接合に電気溶接を使用しています。さらに、艦橋にも装甲を施し、円筒形の一体型艦橋としたことや、艦内に海水が侵入した際に使う”注排水装置”の急速化の実現も特筆すべき点です」(防衛省関係の消息筋)
これらの新技術のすべてが、強靭な艦体を実現するための要素なのだ。前出の軍事ライターが言う。
「航空機の集中攻撃には屈したものの、大和、武蔵は戦艦との撃ち合いで屈することはなかった。最強の戦艦なのは間違いないです」
当時から世界のトップを争っていた日本の技術力が、今回の武蔵の発見によって注目を集めている!
週刊大衆03月30日号
日本と韓国が国交正常化して50年を迎えるにあたり、両国の重鎮が冷え込んだ関係の改善に向けて話し合う「日韓・韓日賢人会議」が発足し、初会合を開きました。
「忌憚のない意見を伺いながら改善の道を探っていきたい」(日韓・韓日賢人会議座長 福田康夫元総理大臣)
「希望や夢について話のできる機会となれば、大変意義ある場になると思う」(韓国 イ・ホング元首相)
会議には、長年、日韓の交流に携わってきた両国の閣僚経験者や経済人らが出席しました。懸案の従軍慰安婦問題などが議題となりましたが、「大局的な見地から解決策を図っていくべき」との意見が出たということです。
「首脳会談で日韓(関係)改善できるような両首脳の決断、政治の決断。“日韓・韓日の賢人会議も後ろ盾になっていきたい”という皆さんの思いを感じた」(河村建夫元官房長官)
会議のメンバーは23日、安倍総理を表敬訪問する予定です。また、5月にはソウルで2回目の会合を開くことにしていて、6月の国交正常化50年の節目を前に、首脳会談の実現に向け、環境整備を図りたい考えです。(23日00:09)
日本の安全保障法制について話し合う自民と公明による「与党協議会」で20日、新たなガイドラインが合意に至り、関連法案が次期国会で提出される見込みとなった。
安部政権は、昨年7月に自分たちが決めた集団的自衛権の行使に関する閣議決定から大きく舵を切り逸脱しようとしている。
与党協議を踏まえ、日本が直接攻撃された場合(武力攻撃事態)だけでなく、
(1)日本や、密接な関係国への攻撃が発生している場合。
(2)武力行使しか方法がない場合。
(3)武力行使を最小限にとどめる場合。
という新3要件を満たすケース(これを「新事態」と名づけた)でも自衛隊が出動できるよう、安倍政権は「武力攻撃事態法」を改正する意向だ。
しかし、安全保障に詳しい東京新聞の半田滋論説兼編集委員は、この「新事態」が追加されれば、“自衛”ついて定めた閣議決定との深刻な論理矛盾が起きると心配する。
「『武力攻撃事態法』にはもうひとつ、敵国からの攻撃が予測される『武力攻撃予測事態』という規定があります。これによって自衛隊はすぐには出動できず、準備を整えることしか許されていない。それほど日本は防衛出動を慎重に扱ってきたのです」
しかし「新事態」が盛り込まれると、様相は一変するという。
「『新事態』では日本への攻撃がなくても、その“存立”が脅かされ、『国民の生命、自由や幸福追求の権利が覆される』と内閣が判断すれば、集団的自衛権が発動されて自衛隊が出動できる。つまり、他国防衛のハードルが自国防衛よりも低くなってしまいかねないのです。これでは自国を守る行為より、アメリカが中東などで身勝手な戦争を起こした時、それに付き合って自衛隊が海外で戦う行為のほうがたやすい、ということになってしまいます」(半田氏)
そもそも、憲法改正という正規の手続きをしないで、時の政権が閣議決定だけで憲法解釈を変えた昨年7月の閣議決定は「憲法で国家権力を縛る」という立憲主義の否定につながりかねない。一部には憲法違反だとする批判もある。
ところが、首相も与党も自らが強引に決めたその閣議決定すら守ろうという気配を見せない…。なぜこんなことになっているのか?
「昨年7月に閣議決定を強行したものの、首相はまだまだ不本意なのでしょう。本当は自衛隊が自由に海外で戦えるよう、盛り込みたかった文言がもっとあったはず。今の政界は安倍一強で、自民党内でさえ首相に逆らえないムードがある。それだけに与党協議では首相の意向を忖度(そんたく)し、満漢全席のように首相の望むすべてのメニューを広げる忠誠心競争が起きているのでは?
その先に待ち受けるのは戦後初の自衛隊員の戦死、数兆円規模の防衛費アップ、そして憲法9条の骨抜きです」(半田氏)
「積極的平和主義」という聞こえのいい言葉で国民をけむに巻く前に、せめて自分で決めたことくらいは首相に守ってもらわないと!
元の記事を読む
米民主党の有力な次期大統領候補、ヒラリー・クリントン前国務長官が苦境に陥っています。同氏は、国務長官在任中の2009年~2013年、個人メールアカウントを公務に利用していたことが分かっており、国家の最重要機密事項を扱う立場にあった者として、その情報管理のあり方が問われています。
ファーストレディ時代
ヒラリー氏は、イリノイ州シカゴで生まれ、東部の名門・イェール大学のロー・スクールを卒業。アーカンソー大学のロー・スクールで教鞭を取るなどした後、ビル・クリントン元大統領と結婚しました。1993年、ビル氏が第42代合衆国大統領に就任すると、ファーストレディとして、また実質上、大統領のアドバイザーとしてビル氏を支えました。
ヒラリー氏とビル氏の関係を語る上で、どうしても言及しなければならないのが、モニカ・ルインスキー事件でしょう。1998年、ビル氏の大統領在任中、かつてホワイトハウス実習生だったルインスキー氏との不倫スキャンダルが報道されました。
当初、肉体関係を否定していたビル氏ですが、メディアなどに追い込まれ、「ルインスキーさんと不適切な関係を持った(I did have a relationship with Ms Lewinsky that was not appropriate.)」ことを認めました。その発言を縮めた「不適切な関係(inappropriate relationship)」というフレーズは当時アメリカで流行語となりました。
この事件は単なる大統領の醜聞にとどまらず、ビル氏は、アメリカ大統領として史上2人目となる弾劾裁判(法令により特別に身分を保障された公務員に職務違反や非行があった場合に、議会、その他の国民代表機関の訴追を受けて、他の国家機関が審議して当該公務員を罷免または処罰するための裁判)にかけられることとなりました。
結局、大統領罷免には至りませんでしたが、国民から大統領の倫理観が問われ、その権威は大きく損なわれました。
事件の渦中でヒラリー氏は、「夫の行為を好ましく思っていないが、それと弾劾は結びつくものではない」とビル氏を擁護し、プライベートな問題によって大統領が弾劾されるべきではないという世論形成によって、ビル氏を窮地から救ったとされています。
ヒラリー氏が抱える問題
ビル氏が大統領を退任した後、政治的野心を持つヒラリー氏は、ニューヨーク州から上院議員に立候補し当選。…
◇陸上男子100メートル「黒つむじ風のやう」
三島由紀夫が1964年の東京五輪を取材した際のノートの内容が、初めて明らかになった。山梨県山中湖村の三島由紀夫文学館に保管されていた。三島がナショナリズムに傾倒していった時期に当たるが、取材ノートには五輪を純粋にスポーツの祭典として満喫していた様子がうかがわれる。23日に発売される学術雑誌「三島由紀夫研究」に全文が掲載されるほか、24日から同館でノートを展示する。
取材ノートはB5判で、「Olympic」と手書きの表題が付けられている。同館が99年の開館に向けて三島の遺族から購入した、小説の創作ノートや草稿などの中にあったものの、精査されることなく保管され、2020年の東京五輪開催が決まったことを受け、昨春から本格的な読解が始まった。
三島は毎日新聞など3紙の依頼を受けて、開閉会式や陸上、バレーボールなどの競技を取材した。64年10月10日の開会式では、聖火台に向かう坂井義則選手の様子を「手を高く掲げて聖火台の横に立つ。少し笑つたようだ」などとメモし、翌日の毎日新聞で「聖火は、再び東洋と西洋を結ぶ火だともいえる」と論評した。
同12日に金メダルを獲得して表彰台に上った重量挙げの三宅義信選手の様子を「金メダルを上げてみんなに見せる/ショウマンシップ満点」と描写。同15日の陸上男子100メートルで米国のヘイズ選手が優勝した際には、「黒い肉の左から右への移動あるのみ、それは全く黒いつむじ風のやうにすぎた」と驚きを記している。
三島の研究者でノートの読解に当たった近畿大の佐藤秀明教授は「前年にノーベル賞候補に挙がるなど、三島が脂の乗り切った時期。一流のスポーツを観戦する楽しさを具体的につづり、生の感覚や臨場感が残されており非常に興味深い」と話している。【丸山進】