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◇5~8月限定
◇郷土愛育てリピーターに
県は5月1日から、岡山後楽園(岡山市北区)の入園料を高校生以下に限り、8月末まで無料にする。日本三大名園の一つと称されながら、入園者数はピーク時の3分の1に減少。子どもの頃から園に親しんでもらい、リピーターを育成することで集客につなげたい考えだ。(中村申平)
県によると、山陽新幹線の新大阪―岡山間が開通した1972年度は209万人が入園。しかし、それをピークに減少へと転じ、瀬戸大橋が開通した88年度は150万人、築庭300周年の記念イベントが開催された2000年度は92万人だった。
その後も歯止めはかからず、07年度は78万人、10年度は66万人とピーク時の3割強に。県政総合指針「晴れの国おかやま生き活(い)きプラン」では16年度までに75万人に回復すると掲げるものの、打開策は見い出せてなかった。
後楽園と周辺地域の活性策を考える魅力向上委員会は昨年3月、県に対して対策を要望。10年以上訪れてない子どもが多いと指摘した上で、「子どもたちの郷土愛を育て、将来的な観光施策につなげる必要がある」と提言した。
13年度に来園した小中学・高校生は5万7000人で、全体の8・7%。割合を増やせば入園者の底上げになると、県はゴールデンウィークや夏休みの来園を促そうと、期間限定で小中学生140円、高校生400円を無料にすることを決めた。
園内を散策していた岡山市東区、主婦今野咲子さん(41)は「無料だったら、小学生の子どもを連れてまた来ようという気になる」と歓迎する。
県都市計画課の河本泰輔・総括参事は「一度でも訪れて魅力を感じてもらい、大人になってから、恋人や県外の友人、家族らを連れて再び訪れてほしい」と期待を寄せ、「効果があれば、16年度から通年での無料化も検討したい」とする。
◇日中英韓 案内板を設置
◇まちづくりグループなど
岡山後楽園やその周辺を活性化させようと活動しているまちづくりグループ「さんどう会」(佐野宜夫代表)などは、岡山後楽園などの位置を示す案内板を、300メートル離れた県立美術館(岡山市北区天神町)の向かい側の県有地(同区出石町)に設置した。
案内板は8日に設置され、縦2・1メートル、横1・45メートルの鉄骨製。日本語のほか、英語や中国語、韓国語で岡山後楽園や県立博物館までの道のりを案内している。
これまで、岡山後楽園などを具体的に示す案内板がなく、観光客が住民に道順を尋ねることが多かったという。そのため、同会が2012年秋頃から看板の設置を計画、市民からの寄付や岡山丸の内ロータリークラブの協力を得て実現した。
佐野代表は「多くの人が案内板を見て、岡山後楽園などを訪れ、魅力を堪能してほしい」と期待を寄せる。
北陸新幹線金沢開業を前にし、県警鉄道警察隊が9日、JR金沢駅構内に移転した新しい事務所で任務を開始した。
旧事務所は高架下の目立たない場所にあったが、新事務所は人通りが多い商業施設「あんと」の入り口近くに開設。移転に伴い、道案内、落とし物の届け出受け付けなどの交番機能も兼ね備えたとしている。隊員数は今月から2人増員し、専従の隊長(警部)以下7人態勢で、新幹線に乗って警戒する「列車警乗」や駅構内のパトロールなどの任務にあたる。事務所前には、65インチの広報モニターを設置し、架空請求詐欺や置き引きへの注意も呼びかけていく。
開所に合わせて谷本知事が事務所を訪れ、「いよいよ開業まであと5日に迫った。治安維持に最善を尽くしてほしい」と隊員を激励した。村田和生隊長は「事務所が移転し、『駅の中の交番』になった。利用者に気軽に立ち寄ってもらいたい」と話した。
外国語を話せる隊員も配置され、新幹線開業後に増加が見込まれる外国人観光客に対応する。ロシア語や英語などが堪能な池田寿美子巡査部長は、「観光客の皆さんにも安全安心を感じてもらえるよう、おもてなしの心を持って任務にあたりたい」と意気込んだ。
県警本部ではこの日、幹部ら約50人が集まり、開業日の金沢駅周辺の雑踏警備について話し合う会議が開かれた。会議の冒頭、小島裕史本部長は「開業日当日は様々な祝賀行事が予定され、多くの人が県内を訪れる。緊張感を持つ一方で、立ち振る舞いが石川県の第一印象となるので、懇切丁寧に対応してもらいたい」と呼びかけた。
県警は12~15日の4日間にわたり、各部や新幹線沿線の警察署に特別警備本部を設置し、360人態勢で式典の警戒や交通整理などを行う。
◇大阪女学院大・藤木さん
◇英語学ぶ夢かなえ 休まず通い、留学も
大阪女学院大(大阪市中央区)で学ぶ、藤木満寿子さん(83)(大阪市天王寺区)が14日、国際・英語学部を卒業する。戦争で途切れた、英語を学びたいという夢を実現させ、孫のような同級生からは「ふーちゃん」の愛称で呼ばれた。「無事に終えられて感無量。とても楽しい4年間だった」と話している。(久場俊子)
79歳で念願の入学を果たしたものの、「50年以上も主婦だったので、最初は日本語の文章を書くことすら大変だった」という藤木さん。心がけたのは、「授業を休まないこと」と「締め切りを必ず守ること」だったという。週5日、キャリーバッグで大学に通い、持ち前の好奇心と積極性で、授業で必須のiPadも使いこなせるようになった。
周りは孫と同じ世代。若い学生たちがぐんぐん実力を伸ばしていく姿を見て、ときに焦りを感じたと言うが、授業で聞き取れなかった英単語は隣の学生に聞くなどし、4年間で落とした単位は1科目だけ。「みんな聞けばちゃんと教えてくれる。とっても親切でした」。1年生時にはオーストラリアへの短期留学も実現させた。
藤木さんは1931年、4人きょうだいの長女として、中国・上海で生まれ、三重県桑名市で育った。旧制高等女学校を卒業した後に大学で英語を学ぶつもりだった。だが、戦後の混乱期に突入し、進学はあきらめた。貿易会社に勤務した後、24歳で結婚し、3人の娘を育てた。
だが、英語で学ぶという夢を諦めきれず、2008年、76歳で通信制高校に入学した。「行けばいい」と背中を押してくれた夫の和三郎さんが入学直前に急死する不幸もあったが、「無我夢中で学ぶことで、悲しみが和らいだ」と振り返る。3年後、AO入試で同大に合格した。
卒業論文のテーマは「日本の在宅介護について」。在宅介護する5家族にインタビューし、ケアマネジャーなど約20人にアンケートを行った。孫もテープおこしを協力してくれ、半年がかりで仕上げた30ページ以上にわたる労作。作成には、発表用資料作成ソフトを使ったが、これも在学中に学んだ「特技」だ。
全文英語の論文は、2月に発表。手ぶりを交えたなめらかな英語に、約30人の学生から大きな拍手が湧いた。加藤映子学長は「発表の時の英語は素晴らしかった。4年間、コツコツと勉強を積み重ねてきた結果だ。藤木さんの学ぶ姿勢は、若い学生たちにも良い影響を与えた」と話す。
卒業後は、大学の図書館に通い、英語の絵本を読む予定だ。「これまでは課題をこなすので精いっぱいで、それどころじゃなかったので」。藤木さんの学びの意欲は衰えない。
藤田保健衛生大学病院(豊明市)と、海難救助や洋上救急などを行う民間救助団体「日本水難救済会」(東京都)が9日、洋上救急業務に関する協定を締結した=写真=。
同会は海難事故が発生した際に所属ボランティアが救助に出動したり、日本周辺海域の船舶内で傷病者が出た場合に協力医療機関などと調整してヘリコプターや巡視船で医療スタッフを送ったりしている。
同病院は救急医約40人らが24時間体制で救急業務にあたり、5月にはヘリポートを備えた新病棟がオープンする。この日、同病院で行われた調印式で湯沢由紀夫病院長は「揺れや騒音のある環境での救急業務が求められる中、訓練を積んで質を高めていきたい」と話した。また、来賓として同席した第4管区海上保安本部の中嶋哲雄本部長は「救急医療スタッフが充実し、ヘリの離着陸が可能な新病棟が完成するということなので心強い」と期待を寄せた。
大阪大考古学研究室は9日、亀岡市篠地区で10世紀末から11世紀初頭の窯が二つ見つかったと発表した。内部からは須恵器と瓦も発見。同地区は7世紀頃から須恵器、11世紀頃からは瓦の生産が盛んだったことから、同研究室は「須恵器と瓦を両方つくっていた時代の窯。生産の移行過程を知る貴重な資料」としている。
同研究室によると、平安時代中期の窯で、須恵器と瓦が一緒に見つかったのは初めてという。
二つの窯に残っていた灰を分析した結果、使用されていた時期が違うことが判明。古い窯(幅約2・1メートル、奥行き約2・6メートル)からは須恵器が、もう一方の窯(幅約1・5メートル、奥行き約2・1メートル)からは瓦が多く見つかっているという。
同研究室の高橋照彦教授は「須恵器や瓦の一大産地だった地区が、需要の変化に合わせて工夫を重ねていたことがうかがえる」と話した。